夏目漱石の「草枕」は僕の愛読書の一つで、ことあるごとに読みかえしているのだが、その度に新しい発見があるのがまた楽しい。そんな中にも「読みどころ」がいくつかあって、下記の一節もその一つ。
まず第一章の後半にこんな一節がある。
― しばらくこの旅中に起る出来事と、旅中に出逢う人間を能の仕組と能役者の所作に見立てたらどうだろう。―
すると、これを受けて第二章の「峠の茶屋」のくだりでさっそくこれを実践していて、なんとも微笑ましい。
― しばらくすると、奥の方から足音がして、煤けた障子がさらりと開く。なかから一人の婆さんが出る。
どうせ誰か出るだろうとは思っていた。竈に火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気に燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世を明け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
二三年前宝生の舞台で高砂を見た事がある。その時これはうつくしい活人画だと思った。箒を担いだ爺さんが橋懸を五六歩来て、そろりと後向になって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんど真むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。―
■能「高砂」
阿蘇神社の神主友成は、都見物の途中、従者を連れて播磨国(兵庫県)の名所高砂の浦に立ち寄る。そこに清らかな佇まいの一組の老夫婦があらわれる。松の木陰を掃き清める老夫婦に友成は、高砂の松について問いかけると、二人は友成に、この松こそ高砂の松であり、遠い住吉の地にある住の江の松と合わせて「相生の松」と呼ばれている謂われを教える、という世阿弥の代表的な作品。結婚式でおなじみの「高砂や この浦舟に 帆を上げて・・・」という有名な謡曲はこの能の中で唄われる。
まず第一章の後半にこんな一節がある。
― しばらくこの旅中に起る出来事と、旅中に出逢う人間を能の仕組と能役者の所作に見立てたらどうだろう。―
すると、これを受けて第二章の「峠の茶屋」のくだりでさっそくこれを実践していて、なんとも微笑ましい。
― しばらくすると、奥の方から足音がして、煤けた障子がさらりと開く。なかから一人の婆さんが出る。
どうせ誰か出るだろうとは思っていた。竈に火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気に燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世を明け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
二三年前宝生の舞台で高砂を見た事がある。その時これはうつくしい活人画だと思った。箒を担いだ爺さんが橋懸を五六歩来て、そろりと後向になって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんど真むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。―
■能「高砂」
阿蘇神社の神主友成は、都見物の途中、従者を連れて播磨国(兵庫県)の名所高砂の浦に立ち寄る。そこに清らかな佇まいの一組の老夫婦があらわれる。松の木陰を掃き清める老夫婦に友成は、高砂の松について問いかけると、二人は友成に、この松こそ高砂の松であり、遠い住吉の地にある住の江の松と合わせて「相生の松」と呼ばれている謂われを教える、という世阿弥の代表的な作品。結婚式でおなじみの「高砂や この浦舟に 帆を上げて・・・」という有名な謡曲はこの能の中で唄われる。