昨日から、徳島県の名物行事「阿波おどり」が始まったとNHKのニュースも伝えていた。
僕は本場の「阿波おどり」は見たことがない。東京勤務の頃、同僚の女子の家が高円寺で、「高円寺阿波おどり」を宣伝するものだから、一度見に行った。たかが「もどき」だろうくらいの気持で行ったらとんでもない、なかなか本格的なまつりで驚いた。熊本でも何かのイベントに徳島から「阿波おどり」の一団が呼ばれて踊っているのを見たこともある。
この「阿波おどり」の起源についてはいろんな説があるようだが、「阿波おどり」に限らず、各地(含熊本)の伝統行事の起源や由来といわれるものには、地域振興や観光振興のための創作された話もだいぶ含まれることが多いので、あまり鵜呑みにはしないようにしている。ちなみに、柳田國男とならび、日本民俗学に大きな足跡を残した折口信夫は、昭和4年に出版した「古代研究. 第1部 第1 民俗學篇」の「盆踊りの話」の中で次のように述べている。
――盆踊りの直接の原因はだから、念仏踊りであることは事実だ。行はれる時期も色々あり、踊り方にも色々あつて道を歩いて踊つて行く踊り、譬へば、阿波の徳島の念仏踊りは其代表的のもので、伊勢踊りと同様である。――
つまり、今日「阿波おどり」と呼ばれるものは、道を歩いて踊って行く念仏踊りだったと言っているのである。
その、盆に踊られていた念仏踊りが、海を往来していた人々によって伝えられた「牛深ハイヤ節」や、「潮来節」などの影響を受けながら、徐々に完成度を高めつつ、今日のような姿になってきたのだろう。
ちなみに、「阿波おどり」の掛け声「やっとさ~」は、宮城県の「塩釜甚句」の掛け声「ハットセ~」と酷似しているが、実は「塩釜甚句」(あいや節)は、北前船で北陸や東北地方に伝わった「牛深ハイヤ節」が、さらに東廻海運によって塩釜に伝わったものといわれている。さらに「塩釜甚句」は江戸向けの物資とともに潮来に伝わり、「潮来甚句」となった。潮来節の影響も受けたというのは、こういうところからも言えるのかもしれない。
下は「阿波おどり」のポスターの最も古い昭和9年版と、今年、平成28年度版の比較。昔は「阿波盆をどり」と呼んでいたり、実施時期も違うことなど、とても興味深い。

▼昨年の阿波おどり
▼牛深ハイヤ節
僕は本場の「阿波おどり」は見たことがない。東京勤務の頃、同僚の女子の家が高円寺で、「高円寺阿波おどり」を宣伝するものだから、一度見に行った。たかが「もどき」だろうくらいの気持で行ったらとんでもない、なかなか本格的なまつりで驚いた。熊本でも何かのイベントに徳島から「阿波おどり」の一団が呼ばれて踊っているのを見たこともある。
この「阿波おどり」の起源についてはいろんな説があるようだが、「阿波おどり」に限らず、各地(含熊本)の伝統行事の起源や由来といわれるものには、地域振興や観光振興のための創作された話もだいぶ含まれることが多いので、あまり鵜呑みにはしないようにしている。ちなみに、柳田國男とならび、日本民俗学に大きな足跡を残した折口信夫は、昭和4年に出版した「古代研究. 第1部 第1 民俗學篇」の「盆踊りの話」の中で次のように述べている。
――盆踊りの直接の原因はだから、念仏踊りであることは事実だ。行はれる時期も色々あり、踊り方にも色々あつて道を歩いて踊つて行く踊り、譬へば、阿波の徳島の念仏踊りは其代表的のもので、伊勢踊りと同様である。――
つまり、今日「阿波おどり」と呼ばれるものは、道を歩いて踊って行く念仏踊りだったと言っているのである。
その、盆に踊られていた念仏踊りが、海を往来していた人々によって伝えられた「牛深ハイヤ節」や、「潮来節」などの影響を受けながら、徐々に完成度を高めつつ、今日のような姿になってきたのだろう。
ちなみに、「阿波おどり」の掛け声「やっとさ~」は、宮城県の「塩釜甚句」の掛け声「ハットセ~」と酷似しているが、実は「塩釜甚句」(あいや節)は、北前船で北陸や東北地方に伝わった「牛深ハイヤ節」が、さらに東廻海運によって塩釜に伝わったものといわれている。さらに「塩釜甚句」は江戸向けの物資とともに潮来に伝わり、「潮来甚句」となった。潮来節の影響も受けたというのは、こういうところからも言えるのかもしれない。
下は「阿波おどり」のポスターの最も古い昭和9年版と、今年、平成28年度版の比較。昔は「阿波盆をどり」と呼んでいたり、実施時期も違うことなど、とても興味深い。


▼昨年の阿波おどり
▼牛深ハイヤ節