徒然なか話

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阿蘇の恋歌 ~ それは阿蘇復興の歌 ~

2016-08-26 20:14:58 | 音楽芸能
 今や阿蘇を象徴する歌となった「阿蘇の恋歌」。この歌が生れたのは意外と新しく、戦後間もない頃。しかも作ったのは作詞、作曲ともに熊本の人ではない。昭和23年に阿蘇を旅した福井県敦賀市の作詞家・松本芳朗さんが詩を作り、後にレコード化のため、青森県三本木村(現十和田市)出身の作曲家・陸奥明さんが曲をつけた。陸奥明さんは昭和30年に大ヒットとなった「月がとっても青いから」の作曲家でもあり、この曲を歌ったスター歌手・菅原都々子さんの実父でもある。
 「阿蘇の恋歌」が広く知られるようになったのは、観光バスのガイドさんたちによって盛んに歌われたから。戦後、進駐軍や外国人観光客だけに限られていた観光バス利用の制限が昭和24年に撤廃され、日本人も利用できるようになった。そして昭和30年頃になると高度経済成長期の始まりとともに観光ブームがやってきた。多くの観光客が阿蘇を訪れ、バスガイドさんの「阿蘇の恋歌」を耳にするようになり、「阿蘇の恋歌」は阿蘇旅行の思い出の歌として広く知られるようになった。ところが、経済成長とともにマイカーが普及すると、バスによる観光旅行ブームは徐々に沈静化して行った。それに伴い人々が「阿蘇の恋歌」を耳にする機会も少なくなり、いつの間にか忘れ去られようとしていた。しかし、この歌が埋もれてしまうことはなかった。多くの人々の心の片隅に残っていたのである。昭和後期から平成にかけて多くの音楽関係者がこの歌を再評価し、レコード化するようになった。そして今では、熊本地震で大きな痛手を負った阿蘇の復興の歌となっているのである。


▼歌謡曲バージョン



▼民謡バージョン