徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

肥後の苔寺とわが父

2020-05-17 20:40:13 | 
 明後日は父の没後20年。立田山へ墓掃除と墓参りに行った。三方を無縁墓に囲まれ、低木や竹笹に雑草が繁り放題でわが家の墓地にも侵入してくるのでまずそれらを排除するのが大変。おそらく無縁墓はどんどん増えていくだろう。
 父は明治44年、熊本県飽託郡黒髪村大字下立田(現在の熊本市中央区黒髪4丁目)に生まれた。そこは立田山麓、旧藩主細川家代々の菩提寺である泰勝寺の南側に隣接した地だった。泰勝寺を管理していた長岡家に幼い頃から伺候していた父にとって、泰勝寺は遊び場であり、勉強の場でもあった。父は7歳になるまでこの地で暮らした。僕が父に連れられてこの地を初めて訪れたのは昭和26年、5歳の頃だった。当時は人家もまばらな里山の雰囲気を残していたが、今では集合住宅などが立ち並び、あの頃の面影はない。
 墓参りを済ませた後、泰勝寺跡(立田自然公園)に立ち寄ってみた。コロナ騒動でしばらく休園していたが3日前から再開したという。受付で手を消毒した後、氏名と連絡先を聞かれた。四つ御廟へのお参りは今年は初めてだったかもしれない。細川家初代藤孝(幽斎)公夫妻と二代目忠興公とガラシャ夫人、それぞれの御廟に手を合わせ、コロナウイルスの早期終息も合わせて祈った。
 熊本地震以後、通れなくなっていた園内の歩道もほとんどが通行できるようになっていた。季節は初夏、緑も深くなり、茶室仰松軒の苔庭を眺めていると、かつて「肥後の苔寺」と呼ばれた泰勝寺の苔庭の美しさはいかばかりかと思われた。