徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

夏目漱石旧居と謡

2023-12-02 22:36:04 | 歴史
 昨日、朔日詣りで藤崎八旛宮へ行く時、夏目漱石の熊本第六の旧居前を通りかかると隣接地の建物が解け、さら地になっていることに気付いた。第六旧居は熊本市が買い取って整備すると聞いているが、何か関連施設でもできるのだろうか。
 それはさておき、しばし立ち止まって標柱をあらためて読んでみた。次のように書いてある。

 漱石が熊本で過ごした最後の住居で、明治33年4月から熊本を去る33年7月までの3ヶ月住んだ後、上京し同年9月には英国留学へと旅立ちました。家主である磯谷氏一家の努力によって漱石のいたままのおもかげがそのまま残されています。漱石のここでの作に
 「鶯も柳も青き住居かな」
 「菜の花の隣もありて竹の垣」
の句があります。

 最初の句を読んでふと気付いた。漱石が第五旧居に住んでいた頃に始めたといわれる謡のなかでも好んで呻っていたという「熊野」の詞章に似たような一節があったような。帰ってから調べてみた。
 終盤、宗盛が熊野の東下りを許す前、熊野が世の諸行無常を儚むくだりで、「花前に蝶舞ふ紛々たる雪。」という熊野の謡に続いて、「柳上に鴬飛ぶ片々たる金」という地謡の一節がある。穿ち過ぎかもしれないが、後架宗盛とあだ名されるほど漱石が好んでいた「熊野」だけに、この一節が頭の隅にあったのかもしれない。

▼漱石第六旧居(熊本市中央区北千反畑町)


▼漱石第五旧居(熊本市中央区内坪井町)


▼漱石第三旧居(熊本市中央区水前寺公園)


 この「熊野」を下敷きに作られた長唄「桜月夜」には次のような「熊野」の詞章がそのまま使われている。
春雨の降るは涙か桜花 散るを惜しまぬ人やある
都の春は惜しけれど 馴れし東の花や散る
いとまごいして東路へ 花を見捨てて帰る雁



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Re:種吉様 (FUSA)
2023-12-07 10:22:23
若い頃聴いていた歌はその頃の自分の気持や置かれた状況を思い出させますね。
おっしゃるとおり、今さらタラレバを言ってもしょうがないですが、今日の自分までたどって来た道を考えますと、いくつかのターニングポイントがあったことをあらためて思います。
返信する
Unkown (種吉)
2023-12-06 16:49:09
悲しき天使。
聴かせていただきました。若かりし頃がよみがえります。歳のせいでしょうか、昔をしのぶことが多くなりました。あのときこうしたらああしたらと、悔やんでもせんないことなのに……。ここまで生きられたことを喜ぶべきでしょうね。
返信する
Re:野暮天様 (FUSA)
2023-12-04 22:29:44
転勤族でいらっしゃいましたか!
私が行ったことのないところばかりですね。
東京都区内は通過したことはありますが。
下吉田というのは山梨県ですか?米内沢町も行ってみたいですね。(^^♪
返信する
一つ負けました (野暮天)
2023-12-04 13:54:37
いいね、ありがとうございます。
「住んだことがある市町村」で10も転居されて最初はすごいなぁって思いましたが、わたしも数えてみたら9か所でした
麴町区(今の千代田区)、下吉田市、米内沢町(秋田県)、中野区、杉並区、練馬区、八尾市、羽曳野市、そして現在の大和郡山市
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。