江戸末期、吉原固有の唄だった「さわぎ唄」。正式名「吉原さわぎ」は、他所の遊里などで唄う場合は吉原の許可を必要としたという。各地に広まっていくと遊里や酒宴の席などで、座を盛り上げるために三味線や太鼓に合わせてにぎやかに唄われた。吉原でも当初は音曲のみ、しかも太鼓のみで歌う短い曲だったそうだが、その後三味線が加わり、さらに振りを付けて、踊るようになったので曲が長くなったそうだ。歌舞伎の下座音楽としても、揚屋・茶屋などの場面で、酒宴・遊興の騒ぎを表現するために使われるようになったという。
この「さわぎ唄」の歌詞でよく知られているのが
「隅田川さえ さお差しゃ届く なぜに届かぬ わが思い」
という一節。
これは江戸後期に流行った都々逸(どどいつ)の一つで「七七七五」の音数律によって作られている。各地に伝わった後もこの一節はその土地に合わせて歌詞を変えながら唄われているようだ。
また、都々逸は舟運によって潮来から江戸へ伝わった「潮来節」が元になったものともいわれる。
「潮来出島の 真菰の中に あやめ咲くとは しおらしや」が有名だ。
三味線演奏家・崎秀五郎さんの端唄紹介5曲目の「三下りさわぎ」と長唄三味線・今藤珠美さんの作品「熊本さわぎ唄」を聴き比べてみた。
2013.1.2 熊本城本丸御殿
振付 中村花誠
立方 ザ・わらべ(くるみ・文乃)
地方 今藤珠美と今藤珠美社中/下田れい子/中村花誠と花と誠の会
この「さわぎ唄」の歌詞でよく知られているのが
「隅田川さえ さお差しゃ届く なぜに届かぬ わが思い」
という一節。
これは江戸後期に流行った都々逸(どどいつ)の一つで「七七七五」の音数律によって作られている。各地に伝わった後もこの一節はその土地に合わせて歌詞を変えながら唄われているようだ。
また、都々逸は舟運によって潮来から江戸へ伝わった「潮来節」が元になったものともいわれる。
「潮来出島の 真菰の中に あやめ咲くとは しおらしや」が有名だ。
三味線演奏家・崎秀五郎さんの端唄紹介5曲目の「三下りさわぎ」と長唄三味線・今藤珠美さんの作品「熊本さわぎ唄」を聴き比べてみた。
2013.1.2 熊本城本丸御殿
振付 中村花誠
立方 ザ・わらべ(くるみ・文乃)
地方 今藤珠美と今藤珠美社中/下田れい子/中村花誠と花と誠の会
冥途の土産にそのような粋の世界に浸ってみたいものです(笑)
>「隅田川さえ さお差しゃ届く なぜに届かぬ わが思い」
なるほどなるほど。
「七七七五」も数えてみました(汗)
潮来はいたこって読むんですね。
ついでに♪潮来笠 も一とおり聞いて、意味も調べてみました(笑)
「潮来節」を検索したらザ・わらべ ~ 潮来節(潮来音頭/潮来甚句) ~
が出てまいりこれも拝見。
「三下りさわぎ」と「熊本さわぎ唄」も拝見しましたが、後者は歌詞を読むのに必死で踊りの方にも目が行きなんだか粋の世界に浸りきりました(汗)
う~ん、頭が満杯になってちょっと整理がつきません(笑)
「潮来出島の 真菰の中に あやめ咲くとは しおらしや」
どどいつって子供の頃ラジオで聞い覚えた言葉でした(笑)
なんだかすべてがタイムトンネルのようでもあります。
理解不足ですが有難うございました。
唄の歴史を調べると面白いことがいっぱいでてきますよ!