
本妙寺の桜
桜もだいぶ散り始めた。舞い散る花びらもまた風情があってよし。毎年のことながら、儚い桜の季節が過ぎ去ろうとしている。そしてまた人々は来年の桜を楽しみに待つ。延々と繰り返される人の営みである。
この時季には決まって
「春雨の降るは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければ」
という大友黒主の歌を思い出す。
この歌を引用した謡曲(能)が「熊野(ゆや)」。平宗盛と愛妾熊野は花見にやって来たが、病の床に臥す故郷の母への思いで熊野は沈みがち。春爛漫の中、心ならずも酒宴で舞を舞っていると、急に時雨が来て、花を散らしてしまう。熊野は母を思う歌を詠む。その歌はかたくなな宗盛の心に届き、ようやく帰郷が許される、というお話。
夏目漱石はこの謡曲「熊野」がお気に入りだったようで後架(便所)の中でも呻っていたという。その様子は「吾輩は猫である」の中に描写されている。

能「熊野」
「熊野」を思い出すと必ず舞踊曲「桜月夜」も合わせて思い出す。「桜月夜」は「熊野」の世界を舞踊化したもの。
古文ですね。
上のまま検索しても、すべてを現代語訳してくれるものが見つかりませんでした(汗)
古文の」授業はよそを向いていたので苦手でしたが・・・(笑)
貴兄の説明文を読んではつ喜月若さん、花童あやのさんの踊りと歌詞を見ていると舞も歌もイメージがわいてきました。
とても大人っぽい踊りですね。
愛妾熊野の心情が伝わってきた印象です。
有難うございました。
「春雨の降るは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければ」
ですが、謡曲では「桜花散るを惜しまぬ人やある」となります。
どちらも「桜花が散るのを惜しまぬ人などあろうか」という同じ意味だろうと思います。
踊る二人は共に高校生でしたが、平家の公達の愛人という最も大人っぽい演目の一つですね。