今日は熊本市と熊本城顕彰会が共催する「熊本地震と熊本城」特別講演会を市民会館へ聞きに行った。次の三つの講演が行なわれた。
◇石垣に見る築城と城下町造り・・・富田紘一氏(熊本市文化財専門相談員)
◇熊本地震による熊本城の被害状況・・・鶴嶋俊彦氏(熊本城調査研究センター文化財保護主幹)
◇今後の熊本城の復旧について・・・網田龍生氏(熊本城調査研究センター副所長)
熊本城復旧の基本的な考え方は
1 復興シンボルである天守閣の早期復旧を目指す
2 文化的価値を損なわない丁寧な復旧を進める
3 復旧過程の段階的公開を行い、観光資源としての早期再生を図る
4 耐震化など安全対策に向けて最新技術も取り入れた復旧手法の検討を行う
5 「100年先の礎づくり」として未来の復元整備へ繋がる復旧を目指す
の5つだという。
いずれの話を聞いても、熊本城が地震前の状態に復旧するまで気の遠くなるような時間がかかるだろうということ。富田紘一さんによれば「加藤清正による熊本城の築城は、通説では慶長6年(1601)~12年(1607)といわれている。しかし、関ヶ原前の慶長4年(1599)には建て始めていたのではないかと思われる史料もあり、実際にはよくわかっていない。」という。しかし、10年程度では築城していることになる。ほとんど人力の時代、10年で出来上がった熊本城が、文明の発達した今日、地震被災から復旧するのに20年も30年もかかるというのがどうも理解できない。文明は発達したけれど、人間の能力は低下しているのではないだろうか、そんな気持を抱きながら会場を後にした。
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熊本城築城前、白川は大蛇行しており、近津(熊本市西区)辺りの石切場から切り出した石材を、海から白川を遡上して水上運搬し、今の熊本城竹の丸辺りで荷揚げ、茶臼山へ修羅で引き上げたのではないかという。(富田氏談)
◇石垣に見る築城と城下町造り・・・富田紘一氏(熊本市文化財専門相談員)
◇熊本地震による熊本城の被害状況・・・鶴嶋俊彦氏(熊本城調査研究センター文化財保護主幹)
◇今後の熊本城の復旧について・・・網田龍生氏(熊本城調査研究センター副所長)
熊本城復旧の基本的な考え方は
1 復興シンボルである天守閣の早期復旧を目指す
2 文化的価値を損なわない丁寧な復旧を進める
3 復旧過程の段階的公開を行い、観光資源としての早期再生を図る
4 耐震化など安全対策に向けて最新技術も取り入れた復旧手法の検討を行う
5 「100年先の礎づくり」として未来の復元整備へ繋がる復旧を目指す
の5つだという。
いずれの話を聞いても、熊本城が地震前の状態に復旧するまで気の遠くなるような時間がかかるだろうということ。富田紘一さんによれば「加藤清正による熊本城の築城は、通説では慶長6年(1601)~12年(1607)といわれている。しかし、関ヶ原前の慶長4年(1599)には建て始めていたのではないかと思われる史料もあり、実際にはよくわかっていない。」という。しかし、10年程度では築城していることになる。ほとんど人力の時代、10年で出来上がった熊本城が、文明の発達した今日、地震被災から復旧するのに20年も30年もかかるというのがどうも理解できない。文明は発達したけれど、人間の能力は低下しているのではないだろうか、そんな気持を抱きながら会場を後にした。
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熊本城築城前、白川は大蛇行しており、近津(熊本市西区)辺りの石切場から切り出した石材を、海から白川を遡上して水上運搬し、今の熊本城竹の丸辺りで荷揚げ、茶臼山へ修羅で引き上げたのではないかという。(富田氏談)
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