徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

姿を消しゆく石垣たち

2021-08-16 21:20:12 | 歴史
 熊本地震以来、わが家周辺の古い石垣が次々と姿を消していく。次の地震に備えてコンクリートで固められるのはやむを得ないが石垣ファンとしては残念な気もする。そんな中で辛うじて残っている古い石垣が何ヶ所かある。

 その一つが中坂に沿った石垣。中坂は京町台から坪井方面へ人馬を通すため台地の斜面を切り通した道。豊後街道の一部として参勤交代の御行列も通った。石垣の積み方は熊本城と同じ打込接ぎ(うちこみはぎ)に近いので、加藤清正による築城の頃、積まれたものと思われる。この石垣の上には本通り沿いには町屋が軒を連ね、その東側に武家屋敷、そして中坂に沿って専念寺や金剛寺が建てられていた。


中坂の石垣


 もう一つは新坂に沿った石垣。新坂は明治24年に九州鉄道が熊本まで開通したとき、上熊本駅から熊本市内へ馬車を通すために京町台の斜面を開削して造られた道。しかし、石積みを見ると、古い時代の「野面積み(のづらづみ)」に近い。昭和40年代にこの上にマンションが建てられたが、それまでは群馬の製糸業で財を成したという細谷氏の邸と庭園があった。江戸前期の京町絵図には武家・松野氏邸と書かれているので、この石積み自体は相当古くからあったのかもしれない。


新坂の石垣

「山鹿灯籠まつり」は また来年!

2021-08-15 22:49:26 | イベント
 明日(8/16)に予定されていた「山鹿灯籠まつりオンライン中継配信」は雨天が予想されるため中止されることになりました。
 昨年に続き、2年連続で「山鹿灯籠踊り」を見ることはできなくなりましたが、過去の映像やポスターなどをふり返りながら、来年の開催を期待したいと思います。

 
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豪雨のあいまに

2021-08-14 21:06:02 | 熊本
 昼過ぎ、雨がやんだのでこの時とばかり散歩に出た。コースはいつもの熊本城周辺。二の丸広場から慶宅坂辺りまで下りてみると、奉行丸西側の薬研堀が水を満々と湛えた水堀になっていた。普段の空堀しか見ていないのでどこか別の場所のようだ。しばらく水はひかないだろう。
 西大手門の方から加藤神社へ向かった。途中、足を止めてしばらく西出丸の仮設通路から一二三の天守を眺めた。眺めているとどうしても熊本地震前の美しかった風景が目に浮かぶ。あの状態に戻るのは何年先になるだろうと思いながら、4年前の正月、はつ喜月若(くるみ)さんの成人式の日、お母様が傷ついた天守閣を眺めながら「くるみは本当にいい時代に育った…」と、しみじみとおっしゃったことを思い出した。それは僕自身にも言えることで、美しい熊本城とそのもとで行われた数々のイベントを見ることができたのは、ある意味、奇跡的なことだったように思われ、一生の宝物だなと思えた。


奉行丸・未申櫓(ひつじさるやぐら)下の薬研堀が水堀に


西出丸から見た今日の一二三天守


熊本地震前の一二三天守


一二三天守を背景とした舞台(2015.10)

わが心のうた

2021-08-13 23:07:31 | 音楽芸能
 気持が落ち込んだとき、聴きたくなる歌がいくつかある。
 今日はそんな「わが心のうた」とでもいうべき歌の中から次の2曲を聴いてみた。

▼Still Crazy For You(クレイジーキャッツ&ユーミン)

 ユーミンが敬愛してやまないクレイジーキャッツの谷啓とのデュエットによるこの曲は、渡辺プロダクション創立50周年のテーマソングとしてユーミンが作詞・作曲したもの。われわれの世代には懐かしい「シャボン玉ホリデー」の香りがそこはかとなく漂う。
 学生時代には有楽町の日劇へ「ハナ肇とクレイジーキャッツ」のステージを見に行ったものだ。クレイジーキャッツのメンバーもご存命なのは犬塚弘さんただ一人となってしまった。




▼こころのうた(あさみちゆき)

 10数年前、「井の頭公園の歌姫」としてメディアに取り上げられた頃からファンになったあさみちゆき。昭和の香りただよう彼女の歌はどこか懐かしい。当時は井の頭公園で月に一度開かれるストリートライブには700~800人ものファンが集まり、そのほとんどが地方出身者といわれていた。この歌は、彼女がまだ無名だった頃、まるで親のように支えてくれたご夫婦との心の触れ合いから生まれた曲だそうだ。最近、テレビ出演も少なくなってなかなか見る機会がなく寂しい。


千羽鶴

2021-08-12 22:05:43 | 鎮魂
 今日、BS日テレで映画「武士の家計簿」を放送していた。久しぶりの再見だ。サウンドトラックを聴きながら、そういえばこの映画の音楽は大島ミチルさんだったなと思い出した。好きな映画音楽家の一人で、彼女が音楽を担当した映画を結構見ている。すぐに思いつくだけでも

 長崎ぶらぶら節/陽はまた昇る/阿修羅のごとく/北の零年/明日の記憶/サウスバウンド/眉山/椿三十郎/武士の家計簿 etc.

 大島さんと言えば先日、8月9日に行われた「被爆76周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」でも、長崎出身の彼女が作曲した被爆50周年記念歌「千羽鶴」が、彼女の後輩たちによって歌われた。これは毎年恒例になっていてこれからも鎮魂そして平和を祈る歌として歌い続けられるのだろう。

   ▼被爆50周年記念歌「千羽鶴」作詞:横山 鼎 作曲:大島 ミチル

ぎん千代姫のナゾ

2021-08-11 20:00:51 | 歴史
 先週の8月1日、先月他界した叔父のお参りに玉名へ行った時、急に思い立って旧腹赤村(はらかむら:現長洲町腹赤)の「ぼたもちさん」をお参りしに行った。「ぼたもちさん」とは柳河藩初代藩主・立花宗茂公の正室である「ぎん千代姫」の墓碑のことである。墓碑の頭頂部がぼたもちの形に似ているので地元でそう呼ばれている。実は荒尾方面への行き帰りに国道501号で腹赤の辺りを通過する度に立ち寄りたいと思うのだが、これまでなかなか車を停めることができなかった。
 戦国武将である父・立花道雪の娘として幼くして父の後を継ぎ、立花城主となったぎん千代姫が、後に女性武将として勇名を馳せた話は大まかには知っていた。関ヶ原で西軍につき敗れた夫・立花宗茂が改易され、加藤清正のはからいで宗茂は高瀬、ぎん千代姫は腹赤に隠遁するのだが、それからわずか2年後に亡くなることになるぎん千代姫の最期については謎が多く、今なお諸説がある。その手掛かりでもと思い、最近、山本兼一著「まりしてん ぎん千代姫」を読んだ。もちろん読みたかったのは最後の腹赤村の章。ネタバレになるといけないので詳しくは書けないが、フィクションとはいえ、なんだかホッとするような心地よい読後感が残った。
 ちなみに、腹赤でぎん千代姫と一緒に暮らしていた実母仁志姫はぎん千代姫の死後、京町の柳川小路に移り、そこで生涯を終えたそうである。


ぼたもちさん


さわぎ唄のはなし。

2021-08-10 21:42:12 | 音楽芸能
 江戸末期、吉原固有の唄だった「さわぎ唄」。正式名「吉原さわぎ」は、他所の遊里などで唄う場合は吉原の許可を必要としたという。各地に広まっていくと遊里や酒宴の席などで、座を盛り上げるために三味線や太鼓に合わせてにぎやかに唄われた。吉原でも当初は音曲のみ、しかも太鼓のみで歌う短い曲だったそうだが、その後三味線が加わり、さらに振りを付けて、踊るようになったので曲が長くなったそうだ。歌舞伎の下座音楽としても、揚屋・茶屋などの場面で、酒宴・遊興の騒ぎを表現するために使われるようになったという。
 この「さわぎ唄」の歌詞でよく知られているのが

 「隅田川さえ さお差しゃ届く なぜに届かぬ わが思い」

という一節。
 これは江戸後期に流行った都々逸(どどいつ)の一つで「七七七五」の音数律によって作られている。各地に伝わった後もこの一節はその土地に合わせて歌詞を変えながら唄われているようだ。
 また、都々逸は舟運によって潮来から江戸へ伝わった「潮来節」が元になったものともいわれる。

 「潮来出島の 真菰の中に あやめ咲くとは しおらしや」が有名だ。

 三味線演奏家・崎秀五郎さんの端唄紹介5曲目の「三下りさわぎ」と長唄三味線・今藤珠美さんの作品「熊本さわぎ唄」を聴き比べてみた。





    2013.1.2 熊本城本丸御殿
    振付 中村花誠
    立方 ザ・わらべ(くるみ・文乃)
    地方 今藤珠美と今藤珠美社中/下田れい子/中村花誠と花と誠の会

大先輩の情熱 衰えず

2021-08-09 21:40:03 | 友人・知人
 大会期間中はオリンピックについてノーコメントを貫いたが、終わったのでオリンピックに関する話題を一つ。
 数日前、中・高および会社の大先輩の藤本重信さんから突然電話。2、3年電話はなかったので何事ならんと出てみると、何のことはない後輩の名前の確認だった。しかし、電話の主旨はそのことではなかったらしく、その後、オリンピック水球についての長電話となった。どうやらNHKプラスでオリンピック水球のセルビア対ギリシャ戦かなにかを見ていて電話せずにはおられなかったようだ。それはなかなか勝てない日本チームや低迷が続く母校チームのことが頭にあったのだろう。話題は次第に戦術面の話になり、尽きなかった。
 藤本さんは1964年の東京オリンピックで日本水球チームの主力として活躍された方。ご自身の経験を踏まえ誰かに話しておきたかったのだろう。もう80歳は超えられたはずだが水球に対する情熱は衰えていないようだ。僕も1964年に間近で見た優勝チームハンガリーのエース、カルパティの思い出などを話させていただいたので余計盛り上がった。


東京オリンピック1964の時の藤本さんと高校の恩師平田忠彦先生

雨の宇土櫓

2021-08-08 21:08:09 | 熊本
 今日は所用で家内と街中へ出かけた後、しばらく歩いていないので僕だけ千葉城橋で車を降り、雨の中、傘をさして歩いて帰った。途中、棒庵坂を登り、加藤神社にお参りして帰ることにした。いつも鳥居をくぐる前に宇土櫓とその向こうの大小天守を眺めることにしている。雨に打たれる宇土櫓を眺めていると、ふとあの絵を思い出した。あの絵とは川瀬巴水の「熊本城宇土櫓」である。現在の宇土櫓は、熊本地震によって倒壊した続櫓が撤去されてはいるが、絵が描かれた73年前と同じような姿で立ち続けている。しかし、実は満身創痍。もうやがて復旧工事のためいったん解体されることになるが、再び宇土櫓がもとの姿で復活したとき、熊本城の新たな章が始まるのだろう。それを見ることが出来れば嬉しいのだが。


今日の宇土櫓


川瀬巴水が描いた熊本城宇土櫓(昭和23年頃)

夏のお嬢さん

2021-08-07 21:22:03 | 日本文化
 この古写真は時々話題になるが、昭和11年の夏、熊本の街を歩く若い女性たち。白いパラソルと市松模様のお召物がとてもモダン。当時は真夏でもこんなにキッチリとした格好をされていたんだろうか。今から85年も前なのに逆に新しく感じる。
 撮影場所が不明だが、背景に「OIL」の文字が見えるのでどうやらガソリンスタンドのようだ。花畑町か辛島町辺りだと思われる。





残念だけどしかたない…

2021-08-06 20:09:08 | 音楽芸能
 熊本は8日から今月末まで「まん延防止等重点措置」となるため、8月14日開催予定の「玉名女子高校吹奏楽部サマーコンサート」は中止、また、8月21日開催予定の「第26回くまもと全国邦楽コンクール」は無観客で行われることが、それぞれの事務局から連絡があった。楽しみにしていた今月の音楽イベントがいずれも消えてしまい残念だがしかたない。
 今日は玉名女子高吹奏楽部の演奏と、前回の「くまもと全国邦楽コンクール」最優秀賞受賞者の崎秀五郎さんの端唄を聴いてひと時を過ごした。


   ▼玉名女子高吹奏楽部「ミュージカル レ・ミゼラブル」より


   ▼崎秀五郎「端唄 梅と松とや」

千田先生がやって来た!

2021-08-06 13:34:53 | 日本文化
 テレビで人気の城郭考古学者・千田嘉博(せんだよしひろ)先生が熊本城に来られました。石垣修復と発掘調査の現地視察が目的のようです。ちょうど宇土櫓前の発掘調査に参加している家内たちのところへやって来て、「ご苦労様です!」と声をかけられたそうです。写真撮影にもこころよく応じられるなど、とても優しそうな先生だったそうです。
 また、テレビなどで熊本城復旧の状況をご紹介いただけると嬉しいのですが。


熊本城大天守を背景に

「紅葉狩」の後場を見逃した…

2021-08-05 19:09:02 | 伝統芸能
 今年も出水神社薪能は中止となった。春の「翁プロジェクト熊本公演」は予定通り開催されたので夏の薪能も期待していたのだが、最近の熊本の新型コロナ感染者急増を見ると無理だなとあきらめた。
 出水神社薪能を見るようになって10年ほどになるが、その間、熊本城薪能や健軍神社の「花の薪能」なども見ているので、これまでおそらく50番以上は見ていると思う。
 そんな観能経験の中で残念な思いが残るのは、3年前、2018年出水神社薪能の演目「紅葉狩」が最後まで見られなかったことだ。会場の水前寺成趣園能楽殿は野天の能場。この日は、火入れが行われた頃から天候があやしくなり、「紅葉狩」の前場の途中あたりからポツリポツリと雨が降り出した。雨具などは用意していなかったので、多少濡れても最後まで見るつもりだった。まわりの観客もしばらくは我慢して見ていたが、雨脚がだんだん強まり、とてもやみそうにないとわかると三々五々、周囲の樹の下などへ退避を始めた。そしてやがて土砂降りとなった。僕もしばらく樹の下で様子を見ていたが、結局あきらめて水前寺成趣園の休憩所に退避した。しかし、雨は一向に止む気配がなく、小1時間経ったあたりであきらめて駐車場まで走った。観能でこんな目にあったのは初めてだったが、期待していた曲だったので後場が見られなかったのは残念無念。再演の機会があればいいのだが。


「紅葉狩」の前場。怪しげな女たちの宴

ほめく一日

2021-08-04 20:49:30 | 日本文化
 今日の熊本の気温はお昼ごろ38℃を超えた。明日も同じくらいの気温になるらしい。
 以前にもこのブログに書いたことがあるが、こんな時、祖母は「ほめく」という言葉を使った。僕はてっきり熊本弁だと思っていたが、実は立派な標準語。「熱く」と書いて「ほめく」と読む。辞書を引くと「ほてる」とか「熱くなる」という意味のほかにちょっと艶っぽい意味も書いてある。
 それはさておき、江戸東京下町文化研究会のサイトの「江戸ことばいろは」というコーナーを見ると、「ほめきざかり(熱盛)」と書いて「思春期、色気盛り」の意とある。「ん?熱盛?」どこかで見たことあるなと記憶をたどれば、報道ステーション(テレ朝)のスポーツに「熱盛=アツモリ」というコーナーがあるのを思い出した。こちらはファインプレーなど熱く盛り上がったシーンをまとめて紹介するコーナーだが、同じ「熱盛」と書いても随分違う意味になるものだ。
 そんなどうでもいいことを「ほめく」ボンヤリした頭で考えていた。


今年の祇園まつり

2021-08-03 15:58:27 | イベント
 今日は北岡神社の例大祭(祇園まつり)の三日目、献幣祭の日。奉納能楽だけでも見たいと行ってみた。昨年同様、神事は神職と少数の関係者のみで行われていた。境内は数人の方が見ているだけで、かつての祇園まつりのような雰囲気はどこにも感じられない。
 昨年再建された舞殿では、喜多流と金春流による仕舞が奉納されたが、僕の注目は最後に舞った狩野了一さん。今日は「殺生石」のキリ(謡からの推測だから自信はない)だったと思う。いつ見てもこの人の舞姿は美しい。


少人数で粛々と進む献幣祭


喜多流能楽師・狩野了一さんの仕舞


 今から10年前、まつり2日目の夜、境内の特設舞台で行われた奉納舞踊。多くの見物客で賑わったあの夜の風景が戻るのはいつになるだろうか。