徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

防府おどりのころ。

2021-08-02 19:55:32 | 
 この時期になると思い出すのは防府時代の「防府まつり総おどり」のこと。このまつりも、ご多分に漏れず今年も中止になったという。
 僕が熊本から防府へ転勤になったのは今から45年前の1976年5月だった。まだ工場建設途上であり、タイヤ部材をつくる前工程だけが完成していた。僕が所属する総務課の仕事はもっぱらタイヤ工場の操業開始に備えてソフト面の整備をすることだったが、その中の一つに地域社会に認知してもらうこと、そして受け入れてもらうことというテーマがあった。そのためわが上司が考えたのは地域のまつりに積極的に参加すること。そして間近に迫っていたのが「防府まつり総おどり」だった。課内で一番若手だった僕がその意を受けて準備に奔走することとなった。その頃は、第1次オイルショックの影響が残っており、まつりに参加するための予算など一切ない。地域のまつりに参加実績のある支店や工場から合わせて30人分の法被を貸してもらったり、関係先にお手伝いをお願いしたり、参加者の用品は自腹で準備していただいたりと、今から思うと相当無理なことをお願いしたと思う。それでも何とか30人を揃えておどりの列に加わることができ、防府市民の認知度を上げることができたのは何ものにも代えがたい喜びだった。それから45年経った今でも防府おどりへの参加は続いているらしい。風の便りでそんなことを聞くと、ささやかながら自分が防府にいた意味があったのかなと思う。

今日は八朔

2021-08-01 20:35:11 | 
 今日は朝から藤崎八旙宮へ八朔のお詣りに行くつもりだったが、突然ネットがつながらなくなったので、急遽auショップへ。しかし原因はわからずお客様センターの電話番号を聞いて帰る。だが、何度かけてもつながらない。あきらめかけていたら、これまた急に回線が復旧。これで安定するのかどうか不安だがとりあえず様子を見よう。
 午後から早速、藤崎宮で八朔のお詣りを済ますと、今度は先月亡くなった叔父のお参りをしに玉名へ。久しぶりに叔母と話し込む。今年3月に他界した弟と同じように、コロナのせいで最後の別れが出来なかったという。この時期に亡くなられた方は本当に可哀そうだ。
 叔母の家を出た後、ちょっと足を延ばして腹赤の「ぼたもちさん(立花宗茂公正室ぎん千代様)」の墓碑をお参り。(この話は後日)
 帰りは河内川沿いの山越えの道を通って帰った。なんだかいろんなことがあった八朔だった。


青田が目に優しい金峰山麓大将陣の棚田


京都夏の伝統行事「八朔」は今年は中止した花街もあったらしい。(写真は2014年のニュースより)