どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

雄鶏・・ロシア

2019年03月22日 | 昔話(ヨーロッパ)

         世界の猫の民話/日本民話の会・外国民話研究会/ちくま文庫/2010年



 何度も忠告を無視してキツネの甘言にのってしまうオンドリ。

 猫とツグミが取り返しますが、三度目はキツネに連れていかれます。

 二度目までは助けをもとめるオンドリのさけびが猫とツグミに聞こえたのでよかったのですが、三度目は、近くにいませんでした。

 キツネは、オンドリを物置小屋の袋に隠します。

 このキツネには、三人の娘がありました。

 猫とツグミが、素敵な声で歌いだすと、一人目の娘がでてきますが、猫とツグミは鎌で首を切り落とします。

 どうしてこんなに長いこと歌をきいているのかしらと、二人目の娘がでてくると、この首も切り落とされてしまいます。

 三人目、キツネも首をきられてしまいます。

 このあと、オンドリはおなじようなことを繰り返すのでしょうか。甘言には注意しなさいという教訓話です。


ゆうかんな靴直し・・イタリア、こわさを知らないハンス・・スイス、鋳掛屋と幽霊ほか

2019年03月22日 | 昔話(外国)

 幽霊屋敷(城)で、一晩過ごし、「宝物」を手に入れる話。
 なりたくて幽霊にはなりません。幽霊と話せたら幸運が舞い込むかも。


ゆうかんな靴直し(子どもに語るイタリアの昔話/剣持弘子 訳・再話 平田美恵子 再話協力/こぐま社/2003年初版)

 ある公爵がもっている屋敷。この屋敷は、中に入った者がだれも生きてもどれないという。
 この屋敷で一晩、無事にすごせたら、その屋敷をあげるというのを聞いた貧乏な靴直し。
 真夜中、一時のかねがなると
 「落とすぞ」という声。
 「ああ、落とせ」と靴直しがいうと、腕の骨が一本足元に
 何回かおなじやりとりで、うでの骨、胴体の骨、頭蓋骨、足の骨が次々に落ちてきて、その骨が一つになって完全な骸骨に。
骸骨がロウソクをもって
「先に行け」というと
 靴屋は「お前が先にいけ」とこたえます。
 骸骨は「そのドアをあけろ」「この石を引き上げろ」「鍋を持ち上げろ」と次々にいいますが、靴直しは「お前がやれ」とこたえていきます。
 そして、骸骨のいいなりにならなかった靴直しは、金貨の山を手に入れます。             

鋳掛屋と幽霊(明かりが消えたそのあとで/マーガレット・リード・マクドナルド・著 佐藤涼子・訳 出久根 育・画/編書房/2004年)
                    
 幽霊のでるお城、勇敢な男たちが幽霊を退治しようとしますが、誰一人城から無事にでられたものはありません。
 幽霊を退治したものには、金貨で千リアルの褒美をくれるというので、陽気な鋳掛け屋が、生みたて卵1ダース、ぶあついベーコン、ワインの瓶、暖炉にくべる薪をもって、城にのりこみます。

 鋳掛屋のエステバンがベーコンをいためはじめると、暖炉の煙突から男の脚の片方が落ちてきます。
 「オウーーミー-」という声と、もう片足、胴体、腕、頭が次々に煙突から落ちてきます。
 一そろいおちてくると、エステバンの前で、からだのばらばらの部分がくっついて、ちゃんとした人間の姿に。
 この男は、金の袋を三つ、この城の庭に隠したのですが、盗賊たちにおわれて、からだがばらばらにされたのでした。
 金持ちにしてやろうと幽霊と庭に出たエステバンが、三つの金貨の袋をみつけだします。

 マーガレット・リード・マクドナルドは、参考資料をたくさんあげているようですが、訳者のかたは、割愛されたようです。イタリアの「ゆうかんな靴直し」がもとになっているのでしょうか。

 職業が鋳掛屋で、城ではなく屋敷にのりこんで、やはり同じように、ばらならのからだが落ちてきて、完全な骸骨になります。そして、骸骨から金貨の山を手に入れる話です。

 おなじように「落とすぞ」という声と同時に腕や胴体が落ちてきます。
 どちらも、掛け声の繰り返しが楽しい話ですが、こわさをだすには、工夫が必要でしょうか。
 ただ、「鋳掛け屋と幽霊」では、城の様子が「こわさ」を演出してくれているようです。

 「じめじめした空気がながれ」「クモの巣が顔にかかり」「寝屋の上でコウモリが翼をはばたかせ」ています。

 ネズミがでてきてもおかしくはなさそうです。

 鋳掛屋は、鍋やフライパンを修理するのが仕事で、少し前までは?普通だったはずですが、今では修理せず、穴があいたら捨ててしまうので、イメージがわきにくいかもしれません。


こわさを知らないハンス(世界のメルヒェン図書館4 山のグートブラント/小澤俊夫 編訳/ぎょうせい/1981年初版)

 とてもらんぼうもので、父親のいうことをきかないハンス。牧師さんに相談すると、おどろかしてこらしめてやろうと、教会の塔の時計のねじをまく仕事をさせることに。
牧師がゆうれいのかっこうをして、驚かそうとしますが、ハンスはすこしもおどろかず、逆になげとばされてしまいます。
 手に余った父親は、ハンスを遠くへ旅にいかせます。
 ハンスは腕っぷしの強さにまかせて、いろいろな冒険をやり、あぶないめにあいながらも、なんとか切り抜けていきます。

 やがて、ハンスは森の中の古びた黒い家に泊めてもらおうとしますが、なかにはテーブルに明かりともっていましたが、だれもいません。
 そこに二人の盗賊がはいってきます。盗賊はこの家を獲物のかくし場所につかっていましたが、この家には悪い幽霊がいて、家のどこかの宝物を守っているらしいと話します。
 ハンスは「三人で宝物をさがしてわけようじゃないか」と提案します。

 真夜中までには、まだ、だいぶ時間があったので、ハンスが食事に準備をしていると、暖炉の煙突から
 「にげろ、さもないと落ちていくぞ!」という声。
 「かまわん、落ちてこい!」とハンスがいうと、人間のふとももが落ちてきます。
 なんかいかおなじやりとりがあって、うでも首も落ちてきます。
 やがて、ばらばらのからだが組み合わさり、黒い服を着た強そうな大きな男があらわれます。

 死神も悪魔もこわくないハンスは、大男とおくさんに料理を食べさせようとしますが、二人は食べようとはしません。

 おくさんをすくってやるのは何をしたらいいのか尋ねたハンスに、おくさん(真っ白い服を着た女)は、地下室に案内します。

 そこには大きな箱がありましたが、その上には大きな毛むくじゃらの犬とおんどりが。
 ハンスはいとも簡単に犬とおんどりを投げ飛ばします。 
 すると真っ白い服を着た女は、箱のかぎをくれます。
 箱を開けると、その中にはあふれんばかりの黄金が。
 ハンスは黄金をリュックサックにつめて、家にかえります。

 ばらばらになったからだの部分が落ちてくる場面はおなじですが、「こわさを知らないハンス」のほうは、前段部分も笑える。
 「落とすぞ」
 「ああ、落とせ」という繰り返しが話の世界へ引き込んでくれます。

 またどこか人間の弱さをにじませている靴直しと、豪快なハンスの対照的な描き方も楽しい。


恐いものなしのジョヴァンニ(みどりの小鳥 イタリア民話選/イタロ・カルヴィーノ 作 河島英昭 訳/岩波少年文庫/2013年初版)

 「ゆうかんな靴直し」と同じ話型。(というか原型が同じで再話の方法が異なるというものか)

 恐いものが何もないジョヴァンニンとよばれる若者が、世界中を歩きまわり、とある宿屋に泊めてくれとたのみますが、そこで紹介されたのが、生きて帰った人がだれもいないという屋敷。

 この屋敷にのりこんだジョヴァンニンがテーブルで食事をしていると屋根の煙出しから
 「落とそうか」という声。
 ジョヴァンニンが「落とせ」というと、人間の片足が落ちてきます。
 「次に落とそうか」と声に「落とせ」と言うと別の足が。
 これを繰り返していくと、腕、胴体、首が落ちてきて大男の姿に。

 この大男が「ランプをもってついてこい」というと、ジョヴァンニンは「先に行け」と言い返します。
 大男が次々に言いだすことに、ジョヴァンニンがおまえがやれと答えていくと、地下には、金貨のつまったなべが三個。
 
 ジョヴァンニンは、鍋の一つをもらって、何不自由なくその屋敷で暮らことに。

 イタロ・カルヴィーノ(1923-1985)の作品では、「鋳掛屋と幽霊」とおなじように、金貨を主人公が独占するのではなく、一つは死んだと思って引き取りにくる神父に、もう一つは最初に通りかかった貧乏人にあたえます。

 さらに、最後に、ふと振り返ってみた自分の影におびえて、死んでしまったという結末です。

 作者は、現代イタリアの代表的作家であるが、次のように述べているという。

 <民衆の口>からじかに民話を書きうつす方法はグリム兄弟の作品に出発点をもっているが、19世紀の、<科学的>志向性と合致して、語り手の方言を一字一句もらさぬよう忠実に書きとめる風潮を生じた。
 けれどもグリム兄弟は今日信じられているほどには<科学的>ではなかった。その科学性は二分の一であった。それに引き換え、自分の仕事の科学性は四分の三である。
 さらに、四分の一の創意の中身をいくつかにわけているが参考になるものとして

 1 方言で書かれていた物語を、方言の柔軟性を失わないようにして、共通語にすること
 2 物語を異校と合わせて、より豊かな民話にすること
 3 欠落してしまったと思われる部分を控えめに補うこと
 4 文体は個人的なものにせず、またけっして無性格なものならないようにこころがけること

 こうしてみると、最後の方に作者のおもいがあらわれているようだ。 


バグダートの妖怪屋敷(子どもに語るアラビアンナイト/西尾哲夫・訳 茨木啓子・再話/こぐま社/2011年)

 たいへんな遺産を手に入れたアリーという男が、湯水のように金を使って遊び暮らするところからはじまります。

 金の切れ目が縁の切れ目で、金がなくなるとだれも目向きもしなくなり困窮生活をつづけたアリーは、隊商の仲間に入れてもらいますが、隊商は盗賊の一団におそわれます。

 芥川龍之介「杜子春」も、金の切れ目が縁の切れ目という場面が二度でてきます。どちらも三年で財産をなくすというのも共通しています。

 バグダートのほうは、このあと、泊まった者が、あくる朝になると亡くなっているという屋敷に泊まります。
 他の話では、幽霊屋敷という表現がほとんどですが、イスラム教では幽霊という考え方はないといいます。
 この屋敷に住みついているのは、アラビア語で「ジン」と呼ばれる超自然の存在といいます。

 他の昔話では、妖怪とのやりとりが主になりますが、バグダードのほうは、かなり短く「お前の上に金貨の雨を降らせてやろうか!」という声に「その金貨はどこにあるのだ」とアリーがこたえると、金貨の雨がざあとふってきて、広間が金貨でいっぱいになります。

 妖怪は、答え方で宝の持ち主がわかるのですが・・・。

 浮ついた友人との交わることもやめ、貧しい人々のほどこしもし、偉大な神アッラーをこころからうやまうようになると、すっきりした終わりかをします。