どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ぼくと弟はあるきつづける、ぼくは弟とあるいた、ぼくの家から海がみえた

2019年08月25日 | 絵本(日本)

    ぼくと弟はあるきつづける/小林 豊:文・絵/岩崎書店/2007年

 

 戦争から逃れて、両親と離れ、おじいちゃんの家に逃げてきた兄弟。ところが、そのおじいちゃんもまもなくなくなってしまいます。

 おじいちゃんは、たくさんのカギを残していってくれました。

 戸棚をあけると、世界中のたからもの。おじいちゃんは船乗りでした。

 二人は、おじいちゃんの残してくれた望遠鏡や時計をライター、チョコレート、ビスケットなどにかえ、列車の乗客に売って毎日をなんとか暮らす毎日。

 あるとき、列車の中で女の人がバイオリンを弾き、男の子が歌いだします。ところが車掌さんが入ってきて、兄弟は二人と逃げ出します。

 ともだちになった四人。女の子はアナヒタ、男の子はアビというふたりの村へ。

 この村には、あちこちの国や地方からやってきた人が仲良くくらしていました。

 畑仕事をし、秋の実りの時期をむかえ、まつりがはじまります。

 そして翌春、村の畑のアンズの木に花が咲いたころ、うれしいしらせが。

 「停戦だ! 戦争が おわったよ」。

 二人は両親にあうため、港で船をまちます。

  子どもたちが道ばたで、物を売っている場面には、戦争の影響があらわれていますが。兄弟がたどりついた村は牧歌的な風景がひろがり理想郷にもみえました。

 両親の返信に「停戦になったら、さいしょの船で おまえたちを むかえにいく」とありましたが、「テーセンって、なに?」、と弟がたずね、兄が「ぼくにも わからないよ」と兄がこたえるのですが、これから普通の生活がまっていたのでしょうか。

 港に両親がのっている船が着くところがラストです。

 借りてきたら、前作があるので、こちらを先によむべきでした。

 兄弟がたどり着いた村には、いろんなことばをはなす人がいて、「ここでは、だれでも だいかんげいさ」とあるのは、難民を意識したものでしょうか。

    ぼくと弟はあるいた/小林 豊:文・絵/岩崎書店/2002年

 

 「ぼくは弟とあるきつづける」をよんで気になったので、借りてきました。

 「ぼくは弟とあるきつづける」は、おじいさんのところについたところから、はじまりますが、ここでは、戦争がはじまり、両親と別れて南に住むおじいちゃんの家をめざします。

 最期のおんぼろバスで村から出発した兄弟でしたが、途中バスがエンストし、むかしの遺跡の後だという岩山で一晩すごします。

 自転車をのせていた人がつれてきたのは、旅芸人の一座。この一座と村へ到着した兄弟。アンズや桃の花が咲いていました。

 バスで出会ったおばあちゃんの娘にあかちゃんが生まれたばかりでした。

 旅芸人の一座と、あかちゃんのおいわいをして、平和がいかにたのしいかを実感した人々は、それぞれの道をあるきます。

 新しい命の誕生は、戦争が終わった後の希望をしめしているようです。

 先の見えないなかでの、人々のつながりが感じられるエピソードが続いています。

    ぼくの家から海がみえた/小林 豊/岩崎書店/2005年

 

 シリーズになっているのが頭になく、逆から読んでいきました。気になる三部作の最初の絵本です。

 お父さんとお母さん、ぼくの家族にエルタンという弟が生まれます。お父さんは造船所の仕事をみつけます。お父さんの作る船は、足が速くて評判がよく、仕事はますますふえます。

 お母さんも、町の工場で木の実のしわけ、夏には茶摘み、秋にはとりいれの仕事。

 海の見えるアンズの木のそばに、家もたてます。家ができると庭に畑を作り、ニワトリもかいました。

 「家族は、長い旅をして、むかし船乗りだったおじいちゃんが生まれた町につきました」と、はじまりますが、なぜ長い旅をしたのかにはふれられていません。

 暮らしが落ち着いたころ、北の国から大きな貨物船がつきました。長いコートをきた おおぜいの人が 人間よりもおおきな荷物をひきずるようにしてて 桟橋をあるいてきました。

 次の日、町の広場に市がたちました。貨物船でついた人々が、楽器や毛布、たべものなど、みているとほしくなってしまうものばかりを並べました。

 エルタンが急に座り込みますが、貨物船でついた女の人が医者で、心配ないことをおしえてくれました。ぼくは、このお医者の女の子ミッシャという女の人とともだちになりました。

 海を見ながら、「あの海のむこうに、ミッシャの国があるんだね」と、ぼくが言うと、ミッシャは「私の国は もう ないの。お父さんは大学の先生。でも、いま しごとはありません」と、こたえます。

 ある日、ぼくは、たくさんのたまごを、ミッシャの店で売ってもらおうとでかけます。しかし、石畳のでこぼこみちで、たまごのほとんどが われてしまいました。われたたまごをもって、家に帰ると、お母さんは、畑でとれた野菜を、たくさんいれて大きなオムレツをつぎからつぎへと やきました。 

 ぼくと弟のエルタンは、オムレツを 口にいっぱいつめこみ、残りのオムレツを町に売りに行きました。

 やがてミッシャとお母さんが船で国へ帰ります。

 ぼくは、海の向こうの まだあったことのない人たちのことを考えながら海をみていました。

 ミッシャと母親は、戦火からにげてきたのですが、国に帰ったというのは?

 一家は、平和な暮らしをしているようにみえますが、前段に長い旅をしたとありますから、ようやく得た安らぎだったのかもしれません。

 そして、ミッシャの家族もまた戦火にまきこまれています。 

 三部作をつうじて戦火の影。「ぼくと弟はあるきつづける」は、停戦でおわっていますから、このあと本当の平和が訪れたのでしょうか。

 さまざな人々との出会いが”ぼく”を成長させています。