どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

あおくんときいろちゃん

2021年08月16日 | 絵本(外国)

     あおくんときいろちゃん/レオ・レオーニ・作 藤田圭雄・訳/至光社/1994年

 

 あおくん、きいろちゃんは、表紙にあるような色のまる、それもちぎったような形。

 おなじようなかたちの色が、並んだり、まあるくなったり、おおきくなったり、ちいさくなったりと自由自在。

 色に家族があり、友だちがいて、遊びがあります。

 あおくんときいろちゃんがいっしょになり、みどりになると、ぱぱとままには、「うちの子じゃないよ」といわれ、かなしくなって涙。涙でもとの色になると、ぱぱとままは しっかりとだきあげてくれるというストーリーまで。

 お孫さんからせがまれてつくったといいますが、それをうけとめた作者の柔軟な発想にもびっくりです。

 すこしおおきくなると、色や光の三原色も学びます。

 青色と黄色が混ざると緑色に変わるというのは実際にやってみてあげたいこと。

 プリズムを通すと、光にも色があることがわかるので、こんな体験をさせてあげたいと思いました。


おならの話・・富山

2021年08月15日 | 昔話(北信越)

          富山のむかし話/富山県児童文学研究会編/日本標準/1978年

 

 くさい話もカラットしているのが昔話でしょうか。

・おならの話

 シバりに行ったおじいちゃんが、弁当を食べようとすると、スズメがあらかた食べてしまって、中にはふんのようなものが。それでももったいなからと、きたないものをよけて食べ、仕事をしようとすると、ビーヒョロヒョロビーと、おならがでた。

 家に帰っておばあちゃんに聞かせると、「こりゃめずらしいひや。おじいちゃん売りにいってくりゃどうじゃ」といわれ、「ひーいらんけ、ひーいらんけ」と売り歩いていると、むこうから殿さま。

 ビーヒョロヒョロビーをきいた殿さまは、めずらしいひきかせてくれたからと、お金をたくさん褒美にもろうてかえってきます。

 これをきいたとなりのおじいちゃんも、おなじようにしますが、めずらしいひはでません。それでも売りにいって、殿さまの前でやってみると、でたのは、なかみだったと。

 

 「鳥飲爺」と同じパターンですが、めずらしい鳴き声ではなく、おならというのは、話者の遊び心でしょうか。

 

・へえこき名人

 思うときに、思うたとおりの音でへをこくという若者が、泥棒に手足をぐるぐるまきにされ、さるぐつわもされてしまいます。泥棒どもは米やら大事にしているものどんどん持ちだしはじめます。

 どうでもいいわいと、ちゅう気持ちになった若者でしたが、ふっと じまんのへを使う手を思いつきます。

 はじめは、「パカパカパカパカ」と、遠くから馬が走ってくる音

 つぎに「ヒヒーン、ブルブルブル」と、馬のいななく音

 「ドウドウドウッ、オーラオーラ」と、家の前あたりで、ぴたりと馬がとまる音

 「だあれもおらんがか。お役人さまの見まわりじゃ。おい、そこにおるのはだれじゃ。」

 あわてた泥棒は運んだものをほっぽりだして、逃げていってしもうた。

 

 思った音でおならするというのは、だれもできない名人芸です。


ニャーンといったのは だーれ

2021年08月14日 | 絵本(外国)

     ニャーンといったのは だーれ/ウラジミール・ステーエフ・作 さいごうたけひこ・訳/偕成社/1969年

 

 寝ていたこいぬが、「ニャーン」の声がきになって、なきごえの主を探しはじめました。

 こいぬがさがしているテーブルやベッドにねこがいて、そうでなくても読者は誰の声かわかっていますから、こいぬが探す出すものに、ちがうちがうと突っ込みたくなります。

 庭のおんどり、階段の下の土からは こねずみ、犬小屋の おおきないぬ、草花のうえのはち、川のさかな、かえる。

 はちにさされ、みずでびしょぬれになって いえにかえると まどのところに いたのは?

 
 見たのは2011年改訂版43刷ですが、初版は1969年、ソビエトの作家のものです。50年以上もまえのものですが、絵は古さを感じません。

 でてくる動物、その鳴き声もおなじみのものですから親しみがわきます。 


えんま様も苦労が絶えない‥富山

2021年08月13日 | 昔話(北信越)

          富山のむかし話/富山県児童文学研究会編/日本標準/1978年

 

・鬼をおがんだおばあさん

 仏さまをおがまずに、鬼ばかっりおがんでいたふうがわりなおばあさん。

 寿命には勝てず、閻魔様の前でお裁きを受け、かまゆでにされることに。鬼たちが、おばあさんがさんざんおがんでくれたので、一番ぬるい釜に入れると、ちょうどよい湯加減。

 閻魔様が、かまゆでがだめなら針山地獄へ追いやれと、でっかい声でさけぶと、こんども鬼たちが、こっそりおばあさんのまえの針をぬいてやったので、おばあさんは、ちっとも血を流さずに山のてっぺんまで登ります。おばあさんが「ああ、いいながめだ。こんな見晴らしのいいところに、いつまでも住んでいたい」といったので、閻魔様もたまげてしまって「お前は、地獄にふさわしくないばばあだ。鬼ども、極楽へまわしてやれ。」と、いったとさ。

・えんま様になった八左

 蓑谷の八左という祭文がたり(山伏のようにしゃく杖をつき、ほら貝をふき流しながら、世の中のできごとを歌うように話して歩いた人)が、閻魔様の前で祭文がたりを商売にしていたとこたえると、閻魔様は聞かせてみろといいます。

 八左は「お願いとあらば語りもうそう。でも閻魔様、祭文は高座から語るもの。もし、下座から語ればばちがあたる。」というと、祭文語りを聞きたくてたまらない閻魔様は、八左に高座をゆずります。

 高座に座った祭文がたりは、鬼たちに命令して閻魔様を地獄の底においやります。

 八左が閻魔様になると、自分の在所の蓑谷のもんが地獄に落ちてくると、恩返しのために極楽へおくっていると。


わたしのわごむはわたさない

2021年08月12日 | ヨシタケ シンスケ

  

     わたしのわごむはわたさない/ヨシタケシンスケ/PHP研究所/2019年

 

 ヨシタケさん、輪ゴムからとっても楽しい絵本をプレゼントしてくれました。

 輪ゴムを見つけた”わたし”。ずっとほしかった”わたしだけのもの”。”わたし”がすきにしていいもの。”わたし”のためだけのわごむなのよ。

 輪ゴムをどうつかうか空想していくのが、とってもユニーク。

 髪を結わい、耳に飾り、靴のアクセントにするのは まあ まあ。

 ラブレターを輪ゴムでたばねる(ラブレターの多いこと 多いこと)

 世界中の悪い人を輪ゴムで捕まえる

 宇宙人から地球を救う

 運命の人があらわれたら、その人の輪ゴムとつなげてあげる

 輪ゴムでトレーニング

 どんなところにも ひとっとび

 動物と遊ぶのも 楽しいことだらけ

 

 輪ゴムを使いすぎてきれてしまうと・・・?

 (オチを想像し さらに裏表紙に注目すると まだ子どもの気持ちがわかりますよ!)

 ユーモラスなところも満載で、輪ゴムだけで これだけのさまざまのバリエーションを 考えつくのは大変そう。

 
 大人から見たら何の変哲もないものでも、子どもからしたら、特別なものになるものがありそうです。


かずあそび ウラパン・オコサ

2021年08月11日 | 絵本(日本)

     かずあそび ウラパン・オコサ/谷川晃一/童心社/1999年

 

絵本を見たら、やってみなくちゃ面白くありません。

さるが一ぴきで ウラパン

バナナが二ほんで オコサ

しまうまが三匹で オコサ・ウラパン

ヤギが五匹で オコサ・オコサ・ウラパン

ダンスする人が八人で オコサ・オコサ・オコサ・オコサ

一をウラパン、二をオコサで数えるかずあそびの絵本。かずあそびの絵本としてはめずらしく11もでてきます。

数をまとまりとしてとらえ、いくら大きくなってもかぞえられるのがみそです。

国によって数え方がちがうので、この際、ウラパン、オコサを世界の共通語にしたらどうでしょうか。


オバケやかたのひみつ

2021年08月10日 | 絵本(日本)

      オバケやかたのひみつ/大島妙子/偕成社/2001年

 

 おばけが大好きなマイケルくん。部屋のカーペットはオバケ模様、おもちゃもおばけ、パジャマもガイコツ模様。おまけにこわそうなマスクもいっぱい。

 建築家のパパの部屋で、ほこりをかぶったダンボール箱をみつけました。なかからでてきたのは古いおうちの模型。すっかり気に入ったマイケルが窓辺においておきました。

 満月の夜、おうちの模型に あかりがついていました。マイケルがのぞいてみると、オバケがいっぱいで掃除をしています。指をだしオバケがマイケルの指にさわると、マイケルはちいさくなって模型の部屋にはいるこができました。

 部屋の掃除がおわり、お風呂にはいると、オバケたちはなにやらワイワイつくりはじめました。料理が出来上がると、みんなで食事会です。

 あそびがおわると、オバケたちは「つぎの まんげつのよるに・・」といって、つぎつぎに 空に 飛んでいきました。

 次の満月の夜、マイケルは部屋に入ってきたパパとジュースをのみながら オバケたちを まちます。

 

 パパもちいさいころ、オバケにあったようですよ。オバケやかたのようなおうちの模型には、TOMという名前がかいてありました。

 グレーっぽい絵の色調が続いた後、オバケがでてくるところは、とっても華やかな雰囲気です。


地獄から帰ってきたじいさん・・富山

2021年08月09日 | 昔話(北信越)

          富山のむかし話/富山児童文学研究会/日本標準/1978年

 

 これぞ昔話という話。

 下伏のじいさんが亡くなってみんなで葬式をしていると、棺のふたが内からあいて、じいさんが「なんしとんがよ」といったから、みんなびっくり。

 じいさんの話によると、赤鬼、青鬼に閻魔様のところにつれていかれたが、まだ一年早いといわれ、せっかくきたのなら地獄見物をしていけといわれたという。

 じいさんのみた針の山は、針の先を歩くのでなく、かきわけて罪人がのぼるしかけ。血の池地獄は、ええ湯加減にわいていて、罪人どもが弱ってくると養生するという。ただ地獄は泣いてもわめいても音のしないおそろしいところという。

 帰り際、閻魔様がいうには、来年の同じ日に死ぬことになっているが、極楽にいくことになっているという。

 おじいさんは、次の年の同じ日に、「おら、きょう死ぬがだ」といって、親戚を集めて酒を飲ませます。死にそうに見えないおじいさんでしたが、とにかく酒飲めるのならええかと、みんなでごちそう作って、踊るやら歌うやら大騒ぎ。

 ところが、その夕方、片手枕で寝ていたじいさまは、そのまましんでしまっていたという。

 

 いきな閻魔様。じいさんは地獄はどんなところか伝えたかったのかも。


子育てゆうれい・・富山

2021年08月09日 | 昔話(北信越)

          富山のむかし話/富山児童文学研究会/日本標準/1978年

 

 あるところのおくさんが、子どもが生まれる前に死んでしまい、だんなはんは葬式がおわるとおくさんを土に埋めます。

 ところが四十九日もちかくなって、おかゆをもらいにきた者がありました。その人は、亡くなったおくさんそっくり。

 うわさがひろがっておくさんの埋めたところをほりかえしてみると、亡くなったおくさんの腹から子どもが生まれ、口のはしに、おかゆがどろどろについていた。それで、だんなはんは、子どもを連れ帰ったという。

 

 親を思う一念というのはこいうものだと結びます。昔は土葬が当たり前。ちょっと怖い話で、どんな場所で話されたのでしょうか。


街どろぼう

2021年08月08日 | 絵本(日本)

      街どろぼう/junaida/福音館書店/2021年

 

 ”街どろぼう” ん 何?

 タイトルは入り口。魅力的だとわくわく感があります。ですが最後は、もやもや感がのこりました。

 大きな山のてっぺんにひとりの巨人がくらしていました。家族も友だちもなく寂しく暮らしていた巨人は、はなしあいてがいたらどんなにいいだろうと空想していました。

 ある夜、巨人は、山のふもとの街におりていき、一軒の家をこっそり持ち帰ってきました。

 朝になって、その家族に「これからは ここでいっしょにくらしましょう。ほしいものがあったら なんでもあげますから」という巨人に、その家のお父さんがいいました。「わたしたちだけではさびしいので しんせきの 家も ここへもってきてくれませんか」。

 巨人はその夜、かぞくのしんせきの家を こっそり もちかえってきました。しんせきのおばあさんは「わたしたちだけではつまらないので 友だち家も ここへもってきてくれませんか」

 その次は 「街のお店やさんも ここへもってきてくれませんか」

 毎晩毎晩、あれもこれも持ち帰るうちに、山のふもとの街は そっくりそのまま 巨人の住む山のてっぺんにやってきました。水もきれいだし、おいしい果物の木もたくさんあって街の人たちは すっかり気にいって みんなよろこんでくらしはじめました。

 ところが どういうわけか巨人は あいかわらず さびしいままでした。なぜか 気持ちは ひとりぼっちのまま。

 ある夜明け前、巨人が 山をおりていくと 山のふもとには、一軒の小さな家が ぽつんと のこされていて 一人の少年が くらしていました・・・。

 

 おおぜいの人がいれば孤独じゃないというのは 思い込みかもしれません。大事なのは何かを共有できることでしょうか。

 たった一人残った少年は 街の人にとってどんな存在だったのでしょうか。


さだ子と千羽づる

2021年08月07日 | 絵本(社会)

  さだ子と千羽づる/絵本を通して平和を考える会SHANTI/オーロラ自由アトリエ/1994年

 

 広島平和公園に1958年「原爆の子の像」がたてられました。

 二歳のとき被爆したさだこが、十年後白血病と診断され、「つるを千羽折ると、病気がなおるんよ」と友だちからいわれ、おり続けた千羽づる。千羽づるができあがりますが、病気があまりよくならず、つるをおり続けます。

 クラスの友だちは、さだこの死をきっかけに、さだことおなじように苦しみをうけた世界中の子どもたちのため、そしてこのような戦争を二度とくりかえさないために「原爆の子の像」をつくろうとたちあがります。

 

 もっと生きたかったという願いを思うと、なんともいえない気持ちになります。

 世界中の重要な場所へ折り鶴を寄贈してきたさだ子さんの家族。

 そして、折り鶴を寄贈した人々の記録を後世に残すために、登録を希望される方の、折り鶴データベースもあります。

 人を殺すと殺人者ですが、大量殺人は英雄とされる奇妙な世界。なんど繰り返しても懲りない面々が多すぎます。


鬼彦兵衛・・山口

2021年08月06日 | 昔話(中国・四国)

         山口のむかし話/山口県小学校国語教育研究会国語部会/日本標準/1973年

 

 地元の地名がでてきて、親近感はあるのでしょうが、離れた地域ではなじみがないので、地域型の話でしょうか。

 

 子どものころからからだが大きく、見た目には強そうでしたが、ほんとうはみかけによらず優しくて、ほかの子にいじわるされても、はらをたてることがなかった彦兵衛。

 彦兵衛が大人になりかけたある日、村のお宮に地震で大きな石が転がってきて、村の人が集まってきておしたりひいたりしてもびくともしません。そこへひとりの旅人が通りかかり、あっというまに石を動かしてしまいます。彦兵衛は、この人の何分の一かの力でもついていたら、人々が難儀しているときでも手助けをすることができるのにと、旅人に力をつける方法をおしえてくれるよう頼みます。

 旅人からいわれ紀州の熊野に修業に出かけた彦兵衛。何年もかかって、やっと神様から百人力をつけてもらうことができた彦兵衛は、ありがたい神様を自分の土地にもわけてもらったら村の者がでれだけ喜ぶことだろうと、神様をわけてくれるよう頼みます。熊野の人たちは、神さまをわけると、ありがたさがへると考えて、許してくれません。あきらめきれない彦兵衛は、かってに神さまをわけて、背中にくくりつけ熊野をでて、おってきた熊野の人の八人の命をつえで奪ってしまいます。彦兵衛は亡くなった八人のために、祠をたてなくなった人をなぐさめます。そこが「八おうじ」といわれ、のちの人は「八王子」と書くようになりました。

 そこから少し帰ると、夜明けが近くなったとみえて、にわとりがときを告げます。その声が聞こえるところを「とりごえ」「鳥越」、夜が明けた「あけ道」がいつのまにか「赤道」と書かれるようになります。」

 それからの彦兵衛は、島田川に大水が出て堤防がくずれそうになると、土を俵に入れては、ぽんぽん投げて大水をくいとめ、小さな川に石で橋をかけ、火事のときには大きな樽に水を入れて、いっぺんで消したり大活躍。

 やがて彦兵衛は、鬼彦兵衛とよばれるようになります。「鬼」というのは、特別な力を持った人という意味です。

 年取った鬼彦兵衛は、山から大きな石を背負って帰り「わしがしんだら、これを墓にしてくれ」と頼みます。今でも「鬼彦兵衛のはか」というのがあるといいます。


ドームがたり

2021年08月05日 | 絵本(社会)

     ドームがたり/アーサー・ビナード・作 スズキコージ・絵/玉川大学出版部/2017年

 

 「原爆ドーム」の誕生は1915年。チェコのヤン・レツルの設計です。

 広島県物産陳列館というのが正式名称。生まれてから20年くらいのころから世の中は戦争一色。

 写真や映像でなじみのふかいドームも、設計者が外国の若い方というのをはじめてしりました。

 スズキコージさんのダイナミックで迫力のある絵が原爆のすさまじさをあらわしています。

 丁寧にたてられた建物は、頭がとけてスカスカの骨だけになりますが、壊れることなく当時の惨状をつたえる象徴的なものになりました。

 そのご水爆実験の被害を受けた漁船がありながら、原子力発電所の建設を進めた日本。そのつけは2011年の福島東電発電所の爆発につながります。

 ドームが「生き物が そばにいるとうれしい」というのは、未来への伝言です。

 原爆が落とされて一か月半ほどたった枕崎台風の影響で放射性物質が海に流されたこと、1948年に建てられた広島市高等女学校原爆慰霊碑には、当時の制約から原爆というの表現が一切なく、そのかわりにE=mc2という化学式が記されているのも はじめて知りました。


赤郷の長兵衛どん・・山口

2021年08月04日 | 昔話(中国・四国)

        山口のむかし話/山口県小学校国語教育研究会国語部会/日本標準/1973年

 

 豪快な話です。

 長門の国は美弥の赤郷に住んでいる長兵衛どんが、この地でよくとれるごぼうを抜こうとしますが、ちっとやそっとじゃ抜けない。村の人三人がかりでようやく引き抜き、長兵衛どんがおおきなごぼう抜いた穴を感心して覗いたら、どういうひょうしにか穴の中に落っこちてしまった。

 そこからずっと離れた船木の町にひとりの医者がいて、井戸から水を汲もうとすると、井戸の底から、「たすけてくれ!」という声。医者が障子に吸い取り膏薬を張回して、井戸の上におくと、長兵衛どんが、膏薬に吸い取られてあがってきた。それだけでなく、そのあとから大風が吹いてきて、長兵衛どんはぐんぐん天の方へ飛んでいく。長門から周防をこえて、安芸、備後、備前をこえて、大坂は天王寺の五重塔まで。

 つぎの朝、天王寺の小僧さんが庭を掃いていると、五重塔のてっぺんから「たすけてくれ!」という声。四人がかりで布団を持ち、和尚さんが、布団の上に落ちるよう声をかけ、長兵衛どんは布団の上に飛び降りるが、布団の四すみを持っていた四人の小僧たちがおでこをぶっつけ、そのとたんに火花がちって、その火花が五重塔のそでにとびついて、めらめらもえだしてしまう。その火がどんどん四方へ燃え広がって、とうとう大阪の町もやけてしまったという。

 たしかに たまげたもんじゃのう。


あたし、うそついちゃった

2021年08月03日 | 絵本(外国)

     あたし、うそついちゃった/ローラ・ランキン・作 せなあいこ・訳/評論社/2013年

 

 こぎつねのルースはちっちゃなものがだいすき。持っているおもちゃは、びっくりするくらいちびっこい。ちいさいものを みつけるのもとくい。

 ある日、ルースは学校の休み時間、校庭でちっちゃなカメラを見つけます。

 いっぱい写真を撮っていると、マーティンが「それ、ぼくんじゃない!」。ルースはびっくりぎょうてん。「ちがう。あたしのだもん」といってしまいます。

 オルセン先生は、二人をみて、あした、もう一度はなしあうことにしました。

 それからルースは おなかがひっくりかえりそう。授業もうわのそら。家に帰って大好物のマカロニグラタンも食べられません。ベッドにはいる時間、ルースはもう泣きだしそう。ママに相談すると 明日はやり直せるよと言ってくれます。

 次の日、ルースはちいさな ちいさな声で 先生に 「あのカメラ、あたしのじゃありません。お誕生日に もらったんじゃないの。こうていでみつけたの」といいます。

 先生はルースをだきしめて、おでこにキスしていいます。 「ほんとうのことを はなしてくれてありがとう。とっても ゆうきのいることだったわね」

 ルースがマーティンにあやまると、マーティンも「いいんだよ」と、許してくれました。

 

 うそをついたあとの罪悪感、本当のことをはなし、罪悪感から解放されてすっきりする感じがよくでています。

 先生はちょっと間を置き、ママ、パパが叱らないのは見習いたいもの。

 

 それにしても、嘘を平気でつき 一向に反省しない えらいかたが多すぎます。