昨日は二俣川から東戸塚まで歩く。
昨日の疲れが少し残っていたので、距離は短くし、
まだ行ったことのない東戸塚を目標にした。
緑園都市までは何度か行ったことがある。
フェリス女学院大学の前をはしる大きな道を歩き、
名瀬方面に出た交差点を右に曲がりその道をひたすら歩く。
マルエツのある交差点を左に曲がりまっすぐ行き、
さらに横浜新道と交差した先にある信号を左に曲がり、
そのまま東戸塚駅に向かって歩く。
かかった時間は1時間15分くらい。
だから距離は6~7kmくらいというところだろう。
予想した以上に近く、歩くのにちょうどいい距離だった。
途中聴いた曲は、黛敏郎の涅槃交響曲である。
1929年横浜生まれの彼は、パリ音楽院に留学した経験から、
当時の前衛的な音楽を吸収し、
1958年に初演された涅槃交響曲など、
刺激的な作品を次々と世に発表した。
この交響曲は仏教の梵鐘と声明と
西洋音楽の不思議なほどの調和がみられ、
全体を通して聴くと、その音楽の持つ説得力に圧倒される。
まさしく彼の代表作であり、傑作なのだろう。
生前のテレビなどでの彼の発言を聴いた時に、
なかなか好きにはなれない面はあったが、
こうして作曲家としての彼が残した作品を聴くと、
彼が優れた日本の作曲家であることを疑う余地はない。
第一楽章を聴くとこの時代の音楽が、
音響つまりは音の響きに力点が置かれていると感じる。
時々聴く中にヴァレーズを思わせるようなところもある。
第二楽章では独唱者と合唱団の応唱により曲が展開され、
それにオーケストラも加わって、一つの響きをつくり出す。
第三楽章はオーケストラにより梵鐘の響きがつくり出される。
第四楽章で、ソロと合唱が再び加わり声明的な響きがつくり出される。
第五楽章では、鐘が一斉に鳴り響くような、強烈な響きとなり、
それに合唱も繰り返す鐘を模した響きを加えるが、一旦最後に静まる。
終楽章では、唯一冒頭で旋律らしいものが登場するが、
それが合唱とオーケストラによりかき消され、
声明的な大合唱のユニゾンがそれに代わって中心をなし、
繰り返し歌われながら、涅槃の境地に達したことを思わせる。
意味のある歌詞が歌われる訳ではないが、
このクライマックスはなぜか感動的だ。
日本の作曲家もなかなかやるなあと再認識。
昨日の疲れが少し残っていたので、距離は短くし、
まだ行ったことのない東戸塚を目標にした。
緑園都市までは何度か行ったことがある。
フェリス女学院大学の前をはしる大きな道を歩き、
名瀬方面に出た交差点を右に曲がりその道をひたすら歩く。
マルエツのある交差点を左に曲がりまっすぐ行き、
さらに横浜新道と交差した先にある信号を左に曲がり、
そのまま東戸塚駅に向かって歩く。
かかった時間は1時間15分くらい。
だから距離は6~7kmくらいというところだろう。
予想した以上に近く、歩くのにちょうどいい距離だった。
途中聴いた曲は、黛敏郎の涅槃交響曲である。
1929年横浜生まれの彼は、パリ音楽院に留学した経験から、
当時の前衛的な音楽を吸収し、
1958年に初演された涅槃交響曲など、
刺激的な作品を次々と世に発表した。
この交響曲は仏教の梵鐘と声明と
西洋音楽の不思議なほどの調和がみられ、
全体を通して聴くと、その音楽の持つ説得力に圧倒される。
まさしく彼の代表作であり、傑作なのだろう。
生前のテレビなどでの彼の発言を聴いた時に、
なかなか好きにはなれない面はあったが、
こうして作曲家としての彼が残した作品を聴くと、
彼が優れた日本の作曲家であることを疑う余地はない。
第一楽章を聴くとこの時代の音楽が、
音響つまりは音の響きに力点が置かれていると感じる。
時々聴く中にヴァレーズを思わせるようなところもある。
第二楽章では独唱者と合唱団の応唱により曲が展開され、
それにオーケストラも加わって、一つの響きをつくり出す。
第三楽章はオーケストラにより梵鐘の響きがつくり出される。
第四楽章で、ソロと合唱が再び加わり声明的な響きがつくり出される。
第五楽章では、鐘が一斉に鳴り響くような、強烈な響きとなり、
それに合唱も繰り返す鐘を模した響きを加えるが、一旦最後に静まる。
終楽章では、唯一冒頭で旋律らしいものが登場するが、
それが合唱とオーケストラによりかき消され、
声明的な大合唱のユニゾンがそれに代わって中心をなし、
繰り返し歌われながら、涅槃の境地に達したことを思わせる。
意味のある歌詞が歌われる訳ではないが、
このクライマックスはなぜか感動的だ。
日本の作曲家もなかなかやるなあと再認識。