昨日は横浜から和田町まで歩く。
この時期になると、歩くには夕方の方がいい。
途中聴いた曲は、諸井三郎の交響曲第三番である。
1903年生まれの彼は、1932年にドイツに渡り、
ベルリンで2年間学んでいる。
だから、ドイツの絶対音楽へのこだわりがある。
そういう点からすれば、1943年に作曲された交響曲第三番は、
まさにドイツ的な動機に基づく展開を伴った交響曲の構造を
しっかり持ちつつ書かれた日本人による本格的な交響曲である。
第一楽章の序奏はショスタコーヴィッチの交響曲第10番のように
何か深く思いつめたような旋律で始まる。
「精神の誕生とその発展と名付けられた主部に入ると
いくつかの主題が現れ、それらが展開されていく。
彼の交響曲にはフランクやブルックナーを想起させると言われるが、
その指摘はあてはまるくらい、主題の展開はフランクらしく、
金管などの音の響き方はブルックナーぽく思える。
第二楽章は、いくつかの動機に基づく展開がされる力強い楽章だ。
打楽器が登場するとショスタコーヴィッチを思い出してしまうが、
「諧謔について」と題されたこの楽章で使われる金管と打楽器は
第二次世界大戦の時期の軍国主義的なものを象徴しているのだろう。
第三楽章は、「死についての諸観念」と名付けられ、
壮大さをイメージさせる主題から始まる。
そのあといつくかの動機が登場し展開されるが、
7分40分くらいからやさしく平和的な旋律が登場する。
何か戦争の惨状を感じさせるような旋律と、
この平和を希求するような美しい旋律があらみあいながら、
クライマックスへと突き進んでゆき、最後は幸福な感じで終わる。
日本の作曲界には1930年前後から3つの流れが生まれていたようだ。
山田耕筰はドイツ的なアカデミックな音楽を
受け入れる土壌が、当時の日本人の中に育ってはいないので、
もっと日本人の感性にあう日本的な旋律を使おうとしたのに対し、
それを肯定し、ヨーロッパの音楽の伝統を
なるべく排除しようとした流れと、
その日本人の感性に近いフランス音楽に接近しようとした流れと、
あくまでもヨーロッパの伝統的なスタイルを重んじ、
その中で日本人らしい工夫が加えることが、
できるはずだと考えるもう一つの流れである。
もちろん、諸井はそのうちの最後の流れに属する。
諸井三郎が作曲した交響曲を聴くと、その主張も肯ける気もする。
日本人が外国のものを受容していく際につくづく思うのは、
様々な受け入れ方があり、捉え方があったんだということ。
さて、今回で交響曲日本編も終わりにしておきます。
今日までとりあげたCDは以下のアドレスの日本編に載せました。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/symphony-cd-shoukai.html
次回からは特集として、ホルストの作品紹介をしたいと思います。
この時期になると、歩くには夕方の方がいい。
途中聴いた曲は、諸井三郎の交響曲第三番である。
1903年生まれの彼は、1932年にドイツに渡り、
ベルリンで2年間学んでいる。
だから、ドイツの絶対音楽へのこだわりがある。
そういう点からすれば、1943年に作曲された交響曲第三番は、
まさにドイツ的な動機に基づく展開を伴った交響曲の構造を
しっかり持ちつつ書かれた日本人による本格的な交響曲である。
第一楽章の序奏はショスタコーヴィッチの交響曲第10番のように
何か深く思いつめたような旋律で始まる。
「精神の誕生とその発展と名付けられた主部に入ると
いくつかの主題が現れ、それらが展開されていく。
彼の交響曲にはフランクやブルックナーを想起させると言われるが、
その指摘はあてはまるくらい、主題の展開はフランクらしく、
金管などの音の響き方はブルックナーぽく思える。
第二楽章は、いくつかの動機に基づく展開がされる力強い楽章だ。
打楽器が登場するとショスタコーヴィッチを思い出してしまうが、
「諧謔について」と題されたこの楽章で使われる金管と打楽器は
第二次世界大戦の時期の軍国主義的なものを象徴しているのだろう。
第三楽章は、「死についての諸観念」と名付けられ、
壮大さをイメージさせる主題から始まる。
そのあといつくかの動機が登場し展開されるが、
7分40分くらいからやさしく平和的な旋律が登場する。
何か戦争の惨状を感じさせるような旋律と、
この平和を希求するような美しい旋律があらみあいながら、
クライマックスへと突き進んでゆき、最後は幸福な感じで終わる。
日本の作曲界には1930年前後から3つの流れが生まれていたようだ。
山田耕筰はドイツ的なアカデミックな音楽を
受け入れる土壌が、当時の日本人の中に育ってはいないので、
もっと日本人の感性にあう日本的な旋律を使おうとしたのに対し、
それを肯定し、ヨーロッパの音楽の伝統を
なるべく排除しようとした流れと、
その日本人の感性に近いフランス音楽に接近しようとした流れと、
あくまでもヨーロッパの伝統的なスタイルを重んじ、
その中で日本人らしい工夫が加えることが、
できるはずだと考えるもう一つの流れである。
もちろん、諸井はそのうちの最後の流れに属する。
諸井三郎が作曲した交響曲を聴くと、その主張も肯ける気もする。
日本人が外国のものを受容していく際につくづく思うのは、
様々な受け入れ方があり、捉え方があったんだということ。
さて、今回で交響曲日本編も終わりにしておきます。
今日までとりあげたCDは以下のアドレスの日本編に載せました。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/symphony-cd-shoukai.html
次回からは特集として、ホルストの作品紹介をしたいと思います。