昨日は二俣川から自由が丘まで歩く。
この目標の区間を約4時間半ほどかけて歩いた。
(いつ目標にしたんだというと1ヶ月前)
参考までに各ポイントを歩いた時間は以下の通り
二俣川から西谷まで53分。西谷から新横浜まで約54分。
新横浜から菊名まで約20分(ここで昼食18分)。
菊名から大倉山まで約16分。大倉山から綱島まで約16分。
綱島から日吉まで約23分。日吉から元住吉まで約15分。
元住吉から武藏小杉まで約16分。
武藏小杉から多摩川まで約19分。
多摩川から田園調布まで約12分。
田園調布から自由が丘まで約18分であった。
東横線の一駅間は歩くとだいたい20分弱である。
日吉から自由が丘は鉄道でおよそ6.6kmの距離
日吉から羽沢までは将来開通する予定の路線の情報で、
およそ10.0kmの距離と計算している。
また、羽沢から西谷も同様にして2.7kmと出されている。
二俣川から西谷までは鉄道でおよそ3.6kmの距離
計約23kmで駅から家までの距離の1kmをあわせると
約24kmの道のりは今日歩いているということになる。
実際に歩いた道は完全に鉄道に平行した道ではないし、
鉄道と違って一般の道はアップダウンが多いので、
この値よりは実際は長いかもしれない。
ということを考えると歩く時速は約5.5kmくらいだろうか。
今まで歩いた距離で長いのは、
本厚木から二俣川までの約18km。
所要時間は約3時間半ぐらいである。
したがって今回は、新記録達成ということである。
このくらいのイベントを考えないといけないかな。
今度やる時は二俣川から渋谷まででしょうなあ。
途中聴いた曲は、「皇紀2600年奉祝曲」として、
1940年に作曲された橋本國彦の交響曲第1番である。
この曲全体には彼が影響を受けた色々な音楽の要素が、
あふれている感じがする。
第一楽章は日本的な旋律を使いながらも、
ある時にはドビュッシーを思わせるようなフランス的な部分も見せ、
そうかと思うとロシアの音楽をおもわせるような部分もある。
変幻自在に変化させていくところは彼の作品の特徴のようだ。
しかも、第二楽章では琉球音階を使っているし、
中間部はそれとは曲想の違う旋律をいれている。
(まてよ、作曲年代のことと成立のきっかけを考えると、
複雑な気分で、単純にいいとはいえないなあ)
第3楽章は8つの変奏とフーガからなる。
しかもそこに第一楽章の主題が再び登場し、
そのレ・ミ・ラの動機により一見バラバラにみえる各楽章を、
再構成しながら、まとめていくのだから、なかなかの演出だ。
しかし、これは当時の日本の状況を象徴しているのか、
作曲者自身をとりまく当時の情勢を深く考えると怖くもある。
時代というものが何か恐ろしい力を持っていて、
人々が抵抗できないうちにとんでもない状況がつくり出される。
作曲家はその時代の政治状況に左右されることもあるから大変だ。
ショスタコーヴィッチも然りである。
そして橋本氏も然りなのだろうなあ。
この目標の区間を約4時間半ほどかけて歩いた。
(いつ目標にしたんだというと1ヶ月前)
参考までに各ポイントを歩いた時間は以下の通り
二俣川から西谷まで53分。西谷から新横浜まで約54分。
新横浜から菊名まで約20分(ここで昼食18分)。
菊名から大倉山まで約16分。大倉山から綱島まで約16分。
綱島から日吉まで約23分。日吉から元住吉まで約15分。
元住吉から武藏小杉まで約16分。
武藏小杉から多摩川まで約19分。
多摩川から田園調布まで約12分。
田園調布から自由が丘まで約18分であった。
東横線の一駅間は歩くとだいたい20分弱である。
日吉から自由が丘は鉄道でおよそ6.6kmの距離
日吉から羽沢までは将来開通する予定の路線の情報で、
およそ10.0kmの距離と計算している。
また、羽沢から西谷も同様にして2.7kmと出されている。
二俣川から西谷までは鉄道でおよそ3.6kmの距離
計約23kmで駅から家までの距離の1kmをあわせると
約24kmの道のりは今日歩いているということになる。
実際に歩いた道は完全に鉄道に平行した道ではないし、
鉄道と違って一般の道はアップダウンが多いので、
この値よりは実際は長いかもしれない。
ということを考えると歩く時速は約5.5kmくらいだろうか。
今まで歩いた距離で長いのは、
本厚木から二俣川までの約18km。
所要時間は約3時間半ぐらいである。
したがって今回は、新記録達成ということである。
このくらいのイベントを考えないといけないかな。
今度やる時は二俣川から渋谷まででしょうなあ。
途中聴いた曲は、「皇紀2600年奉祝曲」として、
1940年に作曲された橋本國彦の交響曲第1番である。
この曲全体には彼が影響を受けた色々な音楽の要素が、
あふれている感じがする。
第一楽章は日本的な旋律を使いながらも、
ある時にはドビュッシーを思わせるようなフランス的な部分も見せ、
そうかと思うとロシアの音楽をおもわせるような部分もある。
変幻自在に変化させていくところは彼の作品の特徴のようだ。
しかも、第二楽章では琉球音階を使っているし、
中間部はそれとは曲想の違う旋律をいれている。
(まてよ、作曲年代のことと成立のきっかけを考えると、
複雑な気分で、単純にいいとはいえないなあ)
第3楽章は8つの変奏とフーガからなる。
しかもそこに第一楽章の主題が再び登場し、
そのレ・ミ・ラの動機により一見バラバラにみえる各楽章を、
再構成しながら、まとめていくのだから、なかなかの演出だ。
しかし、これは当時の日本の状況を象徴しているのか、
作曲者自身をとりまく当時の情勢を深く考えると怖くもある。
時代というものが何か恐ろしい力を持っていて、
人々が抵抗できないうちにとんでもない状況がつくり出される。
作曲家はその時代の政治状況に左右されることもあるから大変だ。
ショスタコーヴィッチも然りである。
そして橋本氏も然りなのだろうなあ。