昨日は六本木ノチェーロにライブに行き、
ボサノヴァ・ショーロ・サンバの曲を聴く。
ウーキングをする時間がなかったのでお休み。
今日はヴィラ・ロボスの管弦楽曲を紹介したい。
1887年リオ・デ・ジャネイロ生まれのヴィラ・ロボスは、
有名なブラジルの作曲家で、夥しい数の作品を残している。
序曲「熱帯雨林の夜明け」は1953年か54年頃の作品。
最初の冒頭の朝靄がかかったような部分を聴いただけで、
アマゾンの奥地の自然の中に入ったような感じになれる。
曲は少しずつその朝靄を管楽器の演奏が振り払うように響き、
弦楽器に主題が現れ、一瞬その朝靄が切れたように、
はっきりとした主題が管楽器とともに展開されていく。
しかし、その後もアマゾンの熱帯雨林の神秘的な世界は、
弦楽器などを中心に再び作り出されていく。
後期の作品のためか現代的でブラジル風バッハの世界とは
また一味違って興味が持てる小品である。
有名なブラジル風バッハ第2番は1930年の作品。
管弦楽が作り出す色彩豊か作品で
素朴な音楽づくりにいかにもヴィラ・ロボスらしさを感じる。
情緒豊かな音楽の中に描かれるのは、
ブラジルの自然と風土である。
終楽章の「カイピラの小さな汽車」は走る列車の中で
作曲された作品らしく、即興的であるが親しみやすい曲だ。
「凶暴な踊り」は1919年に書かれた初期の作品であり、
ところどころでプロコフィエフや、ストラヴィンスキー、
ドビュッシーからの影響を思わせるような箇所がある。
それにしてもどうして彼の曲はこうも情緒的なのだろう。
最初聴いた時には、どうもそのストレートさに戸惑い、
一瞬ひいてしまったが、それが親しみやすいところなのか。
確かに何度も聴いていると慣れては来るが、
彼が好きだったショーロの世界と彼の作品とが、
私の中ではなかなか結びついてはくれない。
彼の作品を愛するピアニストのネルソン・フレイレが、
サン・サーンスのピアノ協奏曲第2番を弾いているDVDがあるが、
これを視聴するとサン・サーンスの曲までが
ヴィラ・ロボス風になっている、少なくとも聴こえてしまう。
他の人の演奏するサン・サーンスの同じ協奏曲を聴くと
そうではないのに、不思議なものだと感じてしまうのだ。
ボサノヴァ・ショーロ・サンバの曲を聴く。
ウーキングをする時間がなかったのでお休み。
今日はヴィラ・ロボスの管弦楽曲を紹介したい。
1887年リオ・デ・ジャネイロ生まれのヴィラ・ロボスは、
有名なブラジルの作曲家で、夥しい数の作品を残している。
序曲「熱帯雨林の夜明け」は1953年か54年頃の作品。
最初の冒頭の朝靄がかかったような部分を聴いただけで、
アマゾンの奥地の自然の中に入ったような感じになれる。
曲は少しずつその朝靄を管楽器の演奏が振り払うように響き、
弦楽器に主題が現れ、一瞬その朝靄が切れたように、
はっきりとした主題が管楽器とともに展開されていく。
しかし、その後もアマゾンの熱帯雨林の神秘的な世界は、
弦楽器などを中心に再び作り出されていく。
後期の作品のためか現代的でブラジル風バッハの世界とは
また一味違って興味が持てる小品である。
有名なブラジル風バッハ第2番は1930年の作品。
管弦楽が作り出す色彩豊か作品で
素朴な音楽づくりにいかにもヴィラ・ロボスらしさを感じる。
情緒豊かな音楽の中に描かれるのは、
ブラジルの自然と風土である。
終楽章の「カイピラの小さな汽車」は走る列車の中で
作曲された作品らしく、即興的であるが親しみやすい曲だ。
「凶暴な踊り」は1919年に書かれた初期の作品であり、
ところどころでプロコフィエフや、ストラヴィンスキー、
ドビュッシーからの影響を思わせるような箇所がある。
それにしてもどうして彼の曲はこうも情緒的なのだろう。
最初聴いた時には、どうもそのストレートさに戸惑い、
一瞬ひいてしまったが、それが親しみやすいところなのか。
確かに何度も聴いていると慣れては来るが、
彼が好きだったショーロの世界と彼の作品とが、
私の中ではなかなか結びついてはくれない。
彼の作品を愛するピアニストのネルソン・フレイレが、
サン・サーンスのピアノ協奏曲第2番を弾いているDVDがあるが、
これを視聴するとサン・サーンスの曲までが
ヴィラ・ロボス風になっている、少なくとも聴こえてしまう。
他の人の演奏するサン・サーンスの同じ協奏曲を聴くと
そうではないのに、不思議なものだと感じてしまうのだ。