昨日は横浜から星川駅まで歩いた。
短い距離ではあるが、時間がない時はこのコースになる。
さて、今日紹介する組曲「惑星」のCDは、
カラヤンが、ウィーン・フィルを振った1961年録音の盤である。
カラヤンはその後ベルリン・フィルとも録音をしており、
その演奏は確かにより洗練されたものとはなっているが、
この旧盤は私が二番目にLPの時代に買った「惑星」の全曲盤で、
同じ曲のものを買うのはどうかと悩んだあげく、
価格の高いレギュラー盤であったが、買ったものである。
演奏時間は、火星6:39、金星8:18、水星3:54、木星7:34、
土星8:29、天王星5:43、海王星7:28となっている。
旧録に比べ、新録の方は水星、木星、天王星を除き、
その他がゆったりと時間をかけた演奏になっている。
演奏を聴いた時にはホルンの演奏の良さが記憶に残っており、
ストコフスキーの盤に比べ、録音も良かったせいか、
「火星」のダイナミックで、颯爽とした演奏に、満足したのであった。
ヘッドフォンで聴くといろいろな音が聞こえるので面白くもあった。
たとえば、「木星」のアンダンテ・マエストーソに入る前の
188小節あたりに物を落としたような音が聞こえる。
これは木管楽器(クラリネット?)を床に落とした音かと想像した。
ここで1曲とりあげてみたいのは、「海王星」である。
ストコフスキー盤に慣れていた私にとって、
このヘルベルト・フォン・カラヤンが振った「海王星」の、
冒頭の部分に何しれぬ違和感を持ったのである。
どこが違うのだろうと聞き比べたところ最初のフルートが吹く旋律の
最後の音(3小節目)が、なぜか一音多いのである。
なぜだろう?どうして違うのだろう?どちらの演奏が正しいのか?
こんな疑問を持った私は、その後組曲「惑星」のスコアを買った。
楽譜を確認すると正しかったのは、ストコフスキー盤の方であった。
ベルリン・フィルとの新盤では、楽譜通りに演奏させている。
つまりおそらくは、彼の指示でこうなっているのではなさそうだ。
楽譜を買わないまでの間は、この演奏はカラヤンの指示であろうし、
この方が美しいかなとも思ったことはあるくらいなので、
人の感覚というものはいいかげんなものである。
「海王星」は合唱作品を多く残したホルストらしい作品である。
カラヤンの演奏をレコード盤がすりきれるほど何度も聴いた。
今はそのレコード盤の方はないが、このCDを聴くたびに、
56小説から始まる女声合唱と、けだるい感じのクラリネット、
そして幻想的なハープとチェレスタの演奏に魅せられる。
フェイド・アウトして消えていく女声合唱の演奏を聴いているうちに、
マイクロのレコード・プレーヤーの針が最後まで達し、
「ボコッ」という針が上がる音が聞こえ、プレーヤーが止まる。
こんな繰り返しをして聴いていた風景は今のCDではありえない。
オーディオの世界もだいぶ変わったよなあと回顧しつつ、
ちょっと、おじさんのノスタルジックな世界になってしまった‥‥。
短い距離ではあるが、時間がない時はこのコースになる。
さて、今日紹介する組曲「惑星」のCDは、
カラヤンが、ウィーン・フィルを振った1961年録音の盤である。
カラヤンはその後ベルリン・フィルとも録音をしており、
その演奏は確かにより洗練されたものとはなっているが、
この旧盤は私が二番目にLPの時代に買った「惑星」の全曲盤で、
同じ曲のものを買うのはどうかと悩んだあげく、
価格の高いレギュラー盤であったが、買ったものである。
演奏時間は、火星6:39、金星8:18、水星3:54、木星7:34、
土星8:29、天王星5:43、海王星7:28となっている。
旧録に比べ、新録の方は水星、木星、天王星を除き、
その他がゆったりと時間をかけた演奏になっている。
演奏を聴いた時にはホルンの演奏の良さが記憶に残っており、
ストコフスキーの盤に比べ、録音も良かったせいか、
「火星」のダイナミックで、颯爽とした演奏に、満足したのであった。
ヘッドフォンで聴くといろいろな音が聞こえるので面白くもあった。
たとえば、「木星」のアンダンテ・マエストーソに入る前の
188小節あたりに物を落としたような音が聞こえる。
これは木管楽器(クラリネット?)を床に落とした音かと想像した。
ここで1曲とりあげてみたいのは、「海王星」である。
ストコフスキー盤に慣れていた私にとって、
このヘルベルト・フォン・カラヤンが振った「海王星」の、
冒頭の部分に何しれぬ違和感を持ったのである。
どこが違うのだろうと聞き比べたところ最初のフルートが吹く旋律の
最後の音(3小節目)が、なぜか一音多いのである。
なぜだろう?どうして違うのだろう?どちらの演奏が正しいのか?
こんな疑問を持った私は、その後組曲「惑星」のスコアを買った。
楽譜を確認すると正しかったのは、ストコフスキー盤の方であった。
ベルリン・フィルとの新盤では、楽譜通りに演奏させている。
つまりおそらくは、彼の指示でこうなっているのではなさそうだ。
楽譜を買わないまでの間は、この演奏はカラヤンの指示であろうし、
この方が美しいかなとも思ったことはあるくらいなので、
人の感覚というものはいいかげんなものである。
「海王星」は合唱作品を多く残したホルストらしい作品である。
カラヤンの演奏をレコード盤がすりきれるほど何度も聴いた。
今はそのレコード盤の方はないが、このCDを聴くたびに、
56小説から始まる女声合唱と、けだるい感じのクラリネット、
そして幻想的なハープとチェレスタの演奏に魅せられる。
フェイド・アウトして消えていく女声合唱の演奏を聴いているうちに、
マイクロのレコード・プレーヤーの針が最後まで達し、
「ボコッ」という針が上がる音が聞こえ、プレーヤーが止まる。
こんな繰り返しをして聴いていた風景は今のCDではありえない。
オーディオの世界もだいぶ変わったよなあと回顧しつつ、
ちょっと、おじさんのノスタルジックな世界になってしまった‥‥。