昨日は再び西谷から新横浜・菊名を経由し、
綱島街道を東京方面に向けて歩く。
前回の綱島よりももっと先まで行けるよう挑戦した。
時間の目安は2時間という設定で歩いた。
西谷駅から新横浜駅までは1時間5分。
順調なペースで迷うことなく菊名へ到着し、綱島街道に入る。
綱島に到着してのは西谷駅から1時間50分くらいだった。
さらに歩き続けて日吉に到着した時間は、
西谷から歩く始めてから2時間17分くらいたっていた。
再び歩けるところまでは歩こうと考え歩いたものの、
自分の体力・気力の限界もあり、結局元住吉で終わりにした。
所要時間は2時間25分くらいだろう。
音楽については、今まで北欧の作曲家の交響曲を紹介してきたが、
これでもまだ紹介しきれてはいないほど北欧の交響曲は多い。
とはいえ、それは次回の分にとって、北欧編を終わりにしたい。
北欧編でとりあげたCDと演奏者については、私のHPの
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/symphony-cd-n-eu.html
から見て参考にしていただけるといいと思います。
これからはイタリアやスペインなどの作曲家の交響曲にふれたい。
昨日歩きながら聴いた曲はレスピーギの劇的交響曲である。
レスピーギといえば、代表作はローマの三部作である。
彼の交響曲は一般的には知られておらず、CDそのもの少ない。
彼が世に知られるのは1916年作曲の「ローマの噴水」からだが、
劇的交響曲はそれにさかのぼる2年前の1914年に書かれている。
したがって、聴いた全体の印象からすると、この作品の中では、
色々な当時の作曲家のスタイルを模倣しながらも、
自分の作曲のスタイルを模索しているような感じにも受け取れる。
第一楽章から劇的交響曲にふさわしい音楽であるが、
主題の扱いは交響曲というよりは、ワグナーの楽劇や
リストの交響詩にみられるような扱い方のように思える。
つまり交響曲っぽくはないのであるが、
演奏時間が1時間もかかる大曲である。
曲の長さからいえば、リヒャルト・シュトラウスの
アルプス交響曲のような作品を聴いている感じである。
サウンド自体はワグナー的でもあり、ドビュッシーっぽくもある。
第二楽章はドビュッシーの影響が出ていると指摘される。
この交響曲の中では美しい旋律を聴くことができる楽章で、
聴いているとフランス音楽の誰かの作品を聴いている感じである。
第三楽章の冒頭の金管楽器を中心とした旋律の部分では、
ローマの三部作の「ローマの祭り」に似た部分を聴くことができる。
この劇的交響曲は彼が作曲家として大成する上で
避けることのできない経過点だったのだろう。
ここでの経験がローマの三部作という傑作を
生み出すことになったのだから。
綱島街道を東京方面に向けて歩く。
前回の綱島よりももっと先まで行けるよう挑戦した。
時間の目安は2時間という設定で歩いた。
西谷駅から新横浜駅までは1時間5分。
順調なペースで迷うことなく菊名へ到着し、綱島街道に入る。
綱島に到着してのは西谷駅から1時間50分くらいだった。
さらに歩き続けて日吉に到着した時間は、
西谷から歩く始めてから2時間17分くらいたっていた。
再び歩けるところまでは歩こうと考え歩いたものの、
自分の体力・気力の限界もあり、結局元住吉で終わりにした。
所要時間は2時間25分くらいだろう。
音楽については、今まで北欧の作曲家の交響曲を紹介してきたが、
これでもまだ紹介しきれてはいないほど北欧の交響曲は多い。
とはいえ、それは次回の分にとって、北欧編を終わりにしたい。
北欧編でとりあげたCDと演奏者については、私のHPの
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/symphony-cd-n-eu.html
から見て参考にしていただけるといいと思います。
これからはイタリアやスペインなどの作曲家の交響曲にふれたい。
昨日歩きながら聴いた曲はレスピーギの劇的交響曲である。
レスピーギといえば、代表作はローマの三部作である。
彼の交響曲は一般的には知られておらず、CDそのもの少ない。
彼が世に知られるのは1916年作曲の「ローマの噴水」からだが、
劇的交響曲はそれにさかのぼる2年前の1914年に書かれている。
したがって、聴いた全体の印象からすると、この作品の中では、
色々な当時の作曲家のスタイルを模倣しながらも、
自分の作曲のスタイルを模索しているような感じにも受け取れる。
第一楽章から劇的交響曲にふさわしい音楽であるが、
主題の扱いは交響曲というよりは、ワグナーの楽劇や
リストの交響詩にみられるような扱い方のように思える。
つまり交響曲っぽくはないのであるが、
演奏時間が1時間もかかる大曲である。
曲の長さからいえば、リヒャルト・シュトラウスの
アルプス交響曲のような作品を聴いている感じである。
サウンド自体はワグナー的でもあり、ドビュッシーっぽくもある。
第二楽章はドビュッシーの影響が出ていると指摘される。
この交響曲の中では美しい旋律を聴くことができる楽章で、
聴いているとフランス音楽の誰かの作品を聴いている感じである。
第三楽章の冒頭の金管楽器を中心とした旋律の部分では、
ローマの三部作の「ローマの祭り」に似た部分を聴くことができる。
この劇的交響曲は彼が作曲家として大成する上で
避けることのできない経過点だったのだろう。
ここでの経験がローマの三部作という傑作を
生み出すことになったのだから。