昨日は星川から横浜まで歩く。
しばらくは、このくらいの短い距離になるだろう。
朝血圧計で血圧を計ったところ最高が130代を示した。
ウォーキングの効果かと思ってちょっとだけ喜んだ。
途中聴いた曲は、山田耕筰の長唄交響曲「鶴亀」である。
1886年東京に生まれた山田耕筰を知らない人はいないだろう。
「からたちの花」などの歌曲で有名であるが、
いくつもの交響曲を作っていることは知らないかもしれない。
日本の作曲・指揮の分野において先駆者として活躍したが、
西洋音楽を学び、西洋と日本の音楽をどう結びつけるかに悩み、
多くの作品を世に問う中で、日本の政治状況にも左右され、
様々な苦悩を味わった人物でもある。
長唄交響曲「鶴亀」は1934年作曲された単一楽章の作品である。
その間に有名な交響曲へ長調「かちどきと平和」(1912)や、
舞踏交響曲「マグダラのマリア」(1916)、
交響曲「明治頌歌」(1921)などの作品を世に出している。
初期にはモーツァルト、ベートーヴェンからブラームスに至る
ヨーロッパのとりわけドイツの作曲家の影響が強く現れているが、
舞踏交響曲ではリヒャルト・シュトラウスやドビュッシーの影響が、
聴けばすぐにわかるほど濃厚にみられることがわかると思う。
その彼が長唄交響曲「鶴亀」にみせた着想は素晴らしい。
日本伝統の長唄と西洋のオーケストラを融合させたこの曲は、
調和が保たれ、聴いていて違和感のないものとなっている。
この手法は、その後の日本の作曲家に影響を与えたのだろう。
前日とりあげた黛敏郎の涅槃交響曲も声明と梵鐘に目を付け、
西洋と日本の響きの融合を実現したものであるし、
武満徹も代表作「ノヴェンバー・ステップ」でも
尺八や琵琶とオーケストラの融合が試みられている。
山田耕筰は、日本伝統音楽から西洋音楽への歩み寄りと、
西洋音楽から日本伝統音楽への歩み寄りがなされる中で、
その一つのあり方を模索しながら、
この融合を実現させようとしたのだろう。
山田耕筰が長唄交響曲「鶴亀」を世に出したのは、
なぜ、日本人作曲家が交響曲を書くのかという
根本的な問いへの、一つの回答ではないだろうか。
他のジャンルにも共通に言える永遠の問いだろうなあ。
しばらくは、このくらいの短い距離になるだろう。
朝血圧計で血圧を計ったところ最高が130代を示した。
ウォーキングの効果かと思ってちょっとだけ喜んだ。
途中聴いた曲は、山田耕筰の長唄交響曲「鶴亀」である。
1886年東京に生まれた山田耕筰を知らない人はいないだろう。
「からたちの花」などの歌曲で有名であるが、
いくつもの交響曲を作っていることは知らないかもしれない。
日本の作曲・指揮の分野において先駆者として活躍したが、
西洋音楽を学び、西洋と日本の音楽をどう結びつけるかに悩み、
多くの作品を世に問う中で、日本の政治状況にも左右され、
様々な苦悩を味わった人物でもある。
長唄交響曲「鶴亀」は1934年作曲された単一楽章の作品である。
その間に有名な交響曲へ長調「かちどきと平和」(1912)や、
舞踏交響曲「マグダラのマリア」(1916)、
交響曲「明治頌歌」(1921)などの作品を世に出している。
初期にはモーツァルト、ベートーヴェンからブラームスに至る
ヨーロッパのとりわけドイツの作曲家の影響が強く現れているが、
舞踏交響曲ではリヒャルト・シュトラウスやドビュッシーの影響が、
聴けばすぐにわかるほど濃厚にみられることがわかると思う。
その彼が長唄交響曲「鶴亀」にみせた着想は素晴らしい。
日本伝統の長唄と西洋のオーケストラを融合させたこの曲は、
調和が保たれ、聴いていて違和感のないものとなっている。
この手法は、その後の日本の作曲家に影響を与えたのだろう。
前日とりあげた黛敏郎の涅槃交響曲も声明と梵鐘に目を付け、
西洋と日本の響きの融合を実現したものであるし、
武満徹も代表作「ノヴェンバー・ステップ」でも
尺八や琵琶とオーケストラの融合が試みられている。
山田耕筰は、日本伝統音楽から西洋音楽への歩み寄りと、
西洋音楽から日本伝統音楽への歩み寄りがなされる中で、
その一つのあり方を模索しながら、
この融合を実現させようとしたのだろう。
山田耕筰が長唄交響曲「鶴亀」を世に出したのは、
なぜ、日本人作曲家が交響曲を書くのかという
根本的な問いへの、一つの回答ではないだろうか。
他のジャンルにも共通に言える永遠の問いだろうなあ。