今まで使っていたテンプレートに代えて
たまには気分転換と思い、クリスマスまでの間、
クリスマス用のテンプレートを変えてみました。
昨日は鶴ヶ峰駅から希望が丘駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1925年生まれのパルサダニアンの作品。
今回からは交響曲北欧編の補足に入るが、
最初はバルト三国のエストニアの作曲家をとりあげておく。
ボリス・パルサダニアンは生まれがアルメニアで、
幼い頃からモスクワでリチンスキーに学んだようで、
その後グネーシン音楽学校でヴァイオリンを学び
1950年にヴァイオリン奏者として同校を卒業した。
卒業後はエストニアに移り、タリン音楽院に入学し、
作曲をヘイノ・エッレルに師事したようである。
エストニア人として帰化した彼は、
ソビエト連邦エストニア共和国名誉芸術家の称号を得た。
代表的な作品には1958年から1987年に作曲された11の交響曲、
室内楽曲や合唱曲などがあることがCDの解説書に書かれてある。
交響曲第2番変ホ長調作品6は1961年に作曲され、
「マルティロス・サリアン」というタイトルが付いている。
マルティロス・サリアンはロシア生まれのアルメニアの画家で、
1880年に生まれ、1972年に亡くなった人物である。
作風はゴーギャンやマチスの影響を受けているようで、
1921年にはアルメニアに移住し、風景画を描いたようだ。
1926年から1928年にはパリに住んだが、その後ソ連に戻り、
風景画家としての活動を中心に展開したようだ。
レーニンから要請を受けた絵画を描き、賞やメダルも獲得し、
1972年アルメニア共和国の首都エレバンで亡くなったようである。
パルサダニアンは同郷人としての共感を持っていたのだろう。
おそらく彼の絵画を見てこの交響曲を作曲するにあたっての
インスピレーションを得たところもあるかもしれない。
第一楽章マエストーソの金管楽器による冒頭の長い吹奏は、
彼独特のやり方で印象的であり、山々を感じさせるような音楽で、
サリアンの風景画と関係があるかもしれない。
その後は重々しくシリアスな感じの音楽になっていく。
弦楽器のピッチカートに乗って木管楽器が吹くところは、
アルメニアの民族楽器を模倣しているような感じでもあるが、
緊張感のある音楽、軍隊的な歩みで小太鼓のリズムで
突き進んでいく音楽は、ショスタコーヴィチ的であり、
ショスタコーヴィッチからの影響が大きいのであろう。
12分あたりのフルートによる旋律は民族色が強く、
繰り返される旋律にはアルメニア的な音楽要素があるのだろう。
最後は緊張感が高まったところで終わる。
第二楽章間奏曲は、アルメニア的な民族色が強く、
三部形式で書かれているようで、強烈なリズムに特徴があり、
彼らしい音楽で、一度聴くと忘れない印象的な短い楽章である。
第三楽章レントは、フルオーケストラで情熱的に始まる。
その後ゆったとした音楽となり、物思いにふけった感じになる。
このあたりの弦楽器を中心としたシリアスな音楽は、
ショスタコーヴィチの緩徐楽章にみられるものと共通性がある。
最後はアルト・フルートのソロで静かに終わる。
第四楽章アレグロ・コン・フォコは、冒頭から闘争的で、
小太鼓のリズムに乗り、主題が軽快に奏される。
オーボエのソロはアルメニアの民族楽器の特徴を、
表現しようとしているかのようにも思える。
弦楽器による速い動きの音楽は金管楽器も加わり、
情熱的で、緊張感あふれる雰囲気を作り出す。
それはショスタコーヴィチを代表するソ連的であるが、
それとは別に木管楽器のソロの部分は、
アルメニア的な民族色を出そうとしているように思え、
みごとなコントラストを作り出している感じがする。
最後は木管楽器と弦楽器による山岳地帯を想像させるような、
雄大で安らかな感じの音楽で静かに終わる。
たまには気分転換と思い、クリスマスまでの間、
クリスマス用のテンプレートを変えてみました。
昨日は鶴ヶ峰駅から希望が丘駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1925年生まれのパルサダニアンの作品。
今回からは交響曲北欧編の補足に入るが、
最初はバルト三国のエストニアの作曲家をとりあげておく。
ボリス・パルサダニアンは生まれがアルメニアで、
幼い頃からモスクワでリチンスキーに学んだようで、
その後グネーシン音楽学校でヴァイオリンを学び
1950年にヴァイオリン奏者として同校を卒業した。
卒業後はエストニアに移り、タリン音楽院に入学し、
作曲をヘイノ・エッレルに師事したようである。
エストニア人として帰化した彼は、
ソビエト連邦エストニア共和国名誉芸術家の称号を得た。
代表的な作品には1958年から1987年に作曲された11の交響曲、
室内楽曲や合唱曲などがあることがCDの解説書に書かれてある。
交響曲第2番変ホ長調作品6は1961年に作曲され、
「マルティロス・サリアン」というタイトルが付いている。
マルティロス・サリアンはロシア生まれのアルメニアの画家で、
1880年に生まれ、1972年に亡くなった人物である。
作風はゴーギャンやマチスの影響を受けているようで、
1921年にはアルメニアに移住し、風景画を描いたようだ。
1926年から1928年にはパリに住んだが、その後ソ連に戻り、
風景画家としての活動を中心に展開したようだ。
レーニンから要請を受けた絵画を描き、賞やメダルも獲得し、
1972年アルメニア共和国の首都エレバンで亡くなったようである。
パルサダニアンは同郷人としての共感を持っていたのだろう。
おそらく彼の絵画を見てこの交響曲を作曲するにあたっての
インスピレーションを得たところもあるかもしれない。
第一楽章マエストーソの金管楽器による冒頭の長い吹奏は、
彼独特のやり方で印象的であり、山々を感じさせるような音楽で、
サリアンの風景画と関係があるかもしれない。
その後は重々しくシリアスな感じの音楽になっていく。
弦楽器のピッチカートに乗って木管楽器が吹くところは、
アルメニアの民族楽器を模倣しているような感じでもあるが、
緊張感のある音楽、軍隊的な歩みで小太鼓のリズムで
突き進んでいく音楽は、ショスタコーヴィチ的であり、
ショスタコーヴィッチからの影響が大きいのであろう。
12分あたりのフルートによる旋律は民族色が強く、
繰り返される旋律にはアルメニア的な音楽要素があるのだろう。
最後は緊張感が高まったところで終わる。
第二楽章間奏曲は、アルメニア的な民族色が強く、
三部形式で書かれているようで、強烈なリズムに特徴があり、
彼らしい音楽で、一度聴くと忘れない印象的な短い楽章である。
第三楽章レントは、フルオーケストラで情熱的に始まる。
その後ゆったとした音楽となり、物思いにふけった感じになる。
このあたりの弦楽器を中心としたシリアスな音楽は、
ショスタコーヴィチの緩徐楽章にみられるものと共通性がある。
最後はアルト・フルートのソロで静かに終わる。
第四楽章アレグロ・コン・フォコは、冒頭から闘争的で、
小太鼓のリズムに乗り、主題が軽快に奏される。
オーボエのソロはアルメニアの民族楽器の特徴を、
表現しようとしているかのようにも思える。
弦楽器による速い動きの音楽は金管楽器も加わり、
情熱的で、緊張感あふれる雰囲気を作り出す。
それはショスタコーヴィチを代表するソ連的であるが、
それとは別に木管楽器のソロの部分は、
アルメニア的な民族色を出そうとしているように思え、
みごとなコントラストを作り出している感じがする。
最後は木管楽器と弦楽器による山岳地帯を想像させるような、
雄大で安らかな感じの音楽で静かに終わる。