昨日は二俣川から西谷まで歩きました。
途中聴いたのは1867年生まれたペッテション=ベリエルの作品。
以前交響曲全集を買っていたが、聴いていなかったので開封し、
その中の交響曲第3番ヘ短調「ラップランド交響曲」を聴くことにした。
CDの解説によると彼は、スウェーデンのウランゲルに生まれ、
1886年から1889年にストックホルムの王立音楽院で、
オルガンと作曲を学び、1889年から1890年にはドレスデンに行き、
オーケストレーションをエドムント・クレッチマーに師事した。
1896年に「フレセン(フレースエー、フレーセ)の花々」の
ピアノ曲集第1集を作曲し、発表し知られるようになった。
その頃ストックホルムの日刊紙「ダーゲンス・ニュヘテル」の
音楽評論家として記事を書くようになったようだ。
交響曲第3番ヘ短調「ラップランド交響曲」は、1917年12月11日に
作曲者自身の指揮、王立スウェーデン歌劇場管弦楽団で初演された。
第一楽章アレグロ・モデラートは、重々しく始まる。
構造的にはドイツ的な交響曲の様式を踏まえているが、
北欧らしい民謡風の旋律が次から次へと断片的に登場する。
「遠い過去からの情景」という題がついているようだ。
北欧的な抒情的な部分とワグナー的な重厚な響きが加わり、
ピアノが幻想的で繊細な部分を醸し出し、ユニークである。
最後は弦楽器とピアノで消えるように終わる。
第二楽章モデラートは、軽快なスケルツォ楽章で、
「冬の夜」という題がついており、三部形式のようで、
民謡的な旋律をもとに幻想的な音楽が展開される。
8分の10拍子を用いているようである。
第三楽章トランクィロは、「夏の夜」という題がついている。
白夜の時期のラップランドの美しい風景を描いているようだ。
その中で輝いている星たちを描写しているようなところも聴け、
真夜中の太陽がみられる幻想的な夏の北欧の、
ロマンティックな世界が想像できる音楽である。
第四楽章モデラートは、「未来への夢々」という題がついている。
前進しようとするような行進曲風の明るく華やかな音楽が流れる。
この国とその自然を愛した作曲家らしい作品で、
最後は第三楽章の一部が再現され、静かに終わる。
昨日は相馬保夫著の「ドイツの労働者住宅」を読み終えた。
19世紀という時代はドイツにとっても激動の時代であり、
都市への人口流入により、従来の都市の領域が拡大し、
中世都市を象徴する市壁が取り壊されていった時代である。
財産所有者と無産労働者との緊張した対立関係が続き、
貧富の差が拡大と急増する都市への人口集中とが関係し、
発生した都市の住宅問題に解決が求められたのだろう。
途中聴いたのは1867年生まれたペッテション=ベリエルの作品。
以前交響曲全集を買っていたが、聴いていなかったので開封し、
その中の交響曲第3番ヘ短調「ラップランド交響曲」を聴くことにした。
CDの解説によると彼は、スウェーデンのウランゲルに生まれ、
1886年から1889年にストックホルムの王立音楽院で、
オルガンと作曲を学び、1889年から1890年にはドレスデンに行き、
オーケストレーションをエドムント・クレッチマーに師事した。
1896年に「フレセン(フレースエー、フレーセ)の花々」の
ピアノ曲集第1集を作曲し、発表し知られるようになった。
その頃ストックホルムの日刊紙「ダーゲンス・ニュヘテル」の
音楽評論家として記事を書くようになったようだ。
交響曲第3番ヘ短調「ラップランド交響曲」は、1917年12月11日に
作曲者自身の指揮、王立スウェーデン歌劇場管弦楽団で初演された。
第一楽章アレグロ・モデラートは、重々しく始まる。
構造的にはドイツ的な交響曲の様式を踏まえているが、
北欧らしい民謡風の旋律が次から次へと断片的に登場する。
「遠い過去からの情景」という題がついているようだ。
北欧的な抒情的な部分とワグナー的な重厚な響きが加わり、
ピアノが幻想的で繊細な部分を醸し出し、ユニークである。
最後は弦楽器とピアノで消えるように終わる。
第二楽章モデラートは、軽快なスケルツォ楽章で、
「冬の夜」という題がついており、三部形式のようで、
民謡的な旋律をもとに幻想的な音楽が展開される。
8分の10拍子を用いているようである。
第三楽章トランクィロは、「夏の夜」という題がついている。
白夜の時期のラップランドの美しい風景を描いているようだ。
その中で輝いている星たちを描写しているようなところも聴け、
真夜中の太陽がみられる幻想的な夏の北欧の、
ロマンティックな世界が想像できる音楽である。
第四楽章モデラートは、「未来への夢々」という題がついている。
前進しようとするような行進曲風の明るく華やかな音楽が流れる。
この国とその自然を愛した作曲家らしい作品で、
最後は第三楽章の一部が再現され、静かに終わる。
昨日は相馬保夫著の「ドイツの労働者住宅」を読み終えた。
19世紀という時代はドイツにとっても激動の時代であり、
都市への人口流入により、従来の都市の領域が拡大し、
中世都市を象徴する市壁が取り壊されていった時代である。
財産所有者と無産労働者との緊張した対立関係が続き、
貧富の差が拡大と急増する都市への人口集中とが関係し、
発生した都市の住宅問題に解決が求められたのだろう。