今日は朝から大掃除で忙しかったのである。
電子レンジの十年分の油汚れを落とすために、
重曹をお湯に溶かして雑巾につけて油の部分を擦り、
それでも落ちない場合はスポンジで擦る。
この方法がなかなかで、しつこい油汚れに効くのである。
中の油で汚れた壁面は結構ピカピカになるものである。
おっと、昨日のウォーキングのことを書かなければ‥‥。
昨日は、二俣川から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第6番。
交響曲第6番ヘ長調「田園」作品68は、
1807年から1808年にかけて作曲された作品だ。
高校時代に聴いたのがワルター指揮、
コロンビア交響楽団の演奏によるレコードであったが、
その懐かしい演奏をCDで聴いてみた。
それにしても自然を題材に交響曲を書いてみようとした
その発想は素晴らしいものだし、後世の交響曲作曲家の
どれだけの人が「田園交響曲」というタイトルの作品を
多く残したかを考えても影響は大であるといえよう。
第一楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポは、ソナタ形式で書かれ、
「田舎に着いた時の愉快な感情」という題が付いている。
このワルターの指揮するステレオ期のCDでは、
チェロやコントラバスの音がはっきりと聴こえてくる。
聴こえすぎかなとも思って、スコアを見ると、
ヴァイオリンなどと同じ音量の指定になっているから、
このぐらい聴こえてもいいのかもしれない。
この交響曲の場合は、弦楽器の配置は古典配置でない方が、
ヴァイオリンなど高い弦と、チェロなどの低い弦の音のやりとりが、
はっきり聴ける部分を、楽しく聴く事ができるかもしれない。
ウィーン・フィルを指揮した1936年盤を聴いても、
その低弦がよく聴こえてくるあたりは変わっていない。
低弦が歌うようにおおらかに演奏するところがいい。
ワルター盤の場合は提示部の繰り返しはなく、
そのまま展開部に入るが、低弦の動きが聴いていていい。
第ニ楽章アンダンテ・モルト・モートは、
「小川のほとりの情景」という題が付いている。
弦楽器がその小川のせせらぎの感じを出しながら、
ゆったりと田園風な中で、音楽が進行していき、
複数の木管楽器が絡み合っていくのがいいだけでなく、
コーダのところで小鳥のさえずりを模倣するのがいい。
第三楽章アレグロは、「農民たちの踊り」である。
ここだけが田園という自然の世界とは相対した
人間が住む世界の喜怒哀楽の世界であろうが、
それすらも自然の情景の一部に溶け込ませるところがいい。
中間部を経て、最初の舞踏の音楽が繰り返され、
音楽は嵐の到来を予感させながら、
切れ目なく次の楽章に入る。
第四楽章アレグロは、描写的な「嵐」の音楽であり、
嵐に対する不安と恐怖と、その脅威が、
ティンパニや金管楽器により強調される。
その嵐の雷鳴が遠くに去っていくようになると
クラリネットのソロで始まる第五楽章アレグレットとなる。
「羊飼いの歌と、嵐の後の感謝の気持ち」という題の終楽章は、
おおらかな自然に対する讃歌ともいえるこの曲は、
美しい堂々とした主題で始まり、もう一つの主題を絡みながら、
次第に様々な楽器に引き継がれながら盛り上がりをみせ、
壮大なフィナーレを形作り、平和に満たされた中で終わる。
電子レンジの十年分の油汚れを落とすために、
重曹をお湯に溶かして雑巾につけて油の部分を擦り、
それでも落ちない場合はスポンジで擦る。
この方法がなかなかで、しつこい油汚れに効くのである。
中の油で汚れた壁面は結構ピカピカになるものである。
おっと、昨日のウォーキングのことを書かなければ‥‥。
昨日は、二俣川から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第6番。
交響曲第6番ヘ長調「田園」作品68は、
1807年から1808年にかけて作曲された作品だ。
高校時代に聴いたのがワルター指揮、
コロンビア交響楽団の演奏によるレコードであったが、
その懐かしい演奏をCDで聴いてみた。
それにしても自然を題材に交響曲を書いてみようとした
その発想は素晴らしいものだし、後世の交響曲作曲家の
どれだけの人が「田園交響曲」というタイトルの作品を
多く残したかを考えても影響は大であるといえよう。
第一楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポは、ソナタ形式で書かれ、
「田舎に着いた時の愉快な感情」という題が付いている。
このワルターの指揮するステレオ期のCDでは、
チェロやコントラバスの音がはっきりと聴こえてくる。
聴こえすぎかなとも思って、スコアを見ると、
ヴァイオリンなどと同じ音量の指定になっているから、
このぐらい聴こえてもいいのかもしれない。
この交響曲の場合は、弦楽器の配置は古典配置でない方が、
ヴァイオリンなど高い弦と、チェロなどの低い弦の音のやりとりが、
はっきり聴ける部分を、楽しく聴く事ができるかもしれない。
ウィーン・フィルを指揮した1936年盤を聴いても、
その低弦がよく聴こえてくるあたりは変わっていない。
低弦が歌うようにおおらかに演奏するところがいい。
ワルター盤の場合は提示部の繰り返しはなく、
そのまま展開部に入るが、低弦の動きが聴いていていい。
第ニ楽章アンダンテ・モルト・モートは、
「小川のほとりの情景」という題が付いている。
弦楽器がその小川のせせらぎの感じを出しながら、
ゆったりと田園風な中で、音楽が進行していき、
複数の木管楽器が絡み合っていくのがいいだけでなく、
コーダのところで小鳥のさえずりを模倣するのがいい。
第三楽章アレグロは、「農民たちの踊り」である。
ここだけが田園という自然の世界とは相対した
人間が住む世界の喜怒哀楽の世界であろうが、
それすらも自然の情景の一部に溶け込ませるところがいい。
中間部を経て、最初の舞踏の音楽が繰り返され、
音楽は嵐の到来を予感させながら、
切れ目なく次の楽章に入る。
第四楽章アレグロは、描写的な「嵐」の音楽であり、
嵐に対する不安と恐怖と、その脅威が、
ティンパニや金管楽器により強調される。
その嵐の雷鳴が遠くに去っていくようになると
クラリネットのソロで始まる第五楽章アレグレットとなる。
「羊飼いの歌と、嵐の後の感謝の気持ち」という題の終楽章は、
おおらかな自然に対する讃歌ともいえるこの曲は、
美しい堂々とした主題で始まり、もう一つの主題を絡みながら、
次第に様々な楽器に引き継がれながら盛り上がりをみせ、
壮大なフィナーレを形作り、平和に満たされた中で終わる。