昨日は雨の中、横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのは1916年生まれのエングルンドの作品。
彼はスウェーデンのゴットランド島東岸の
リューガムに生まれたフィンランドの作曲家で、
シベリウス音楽院で、作曲をベングト・カールソンに師事した。
交響曲第1番「戦争交響曲」は1946年に作曲された。
7つの交響曲を残している彼の最初となるこの交響曲は、
第二次世界大戦における彼の従軍経験から、
この副題が付けられたようだが、
彼自身はこの副題を気に入っていないようだ。
第一楽章テンポ・ディ・マルチャ・マ・ポコ・ペサンテは、
シリアスな感じの雰囲気で始まるが、
それは小太鼓のリズムに乗り軍隊的でもある。
もう一つの主題は管楽器によって現れる抒情的な主題である。
その二つの主題をもとに展開される音楽は、
しっかりとした技法で書かれており、聴き手を飽きさせない。
ショスタコーヴィチの交響曲第7番などを想起させる。
とはいえ、音楽自体は北欧的な部分も感じさせ独特である。
第二楽章ポコ・ヴィヴァーチェはスケルツォ楽章で、
木管楽器を中心に滑稽で軽快な音楽が展開される。
もちろん軍隊的な部分の影はここでも強く現れているが、
中間部は叙情的で幻想的で、北欧的な部分も感じる。
最後は次第に盛り上がり、狂乱的な感じで終わる。
第三楽章アダージョは、管楽器のソロが物悲しさを伝える。
ゆっくりとした足取りで、行進曲風に曲は進んでいく。
色々な形に主題は変形され、その中で奏される金管ソロや、
弦楽器の奏する一部がショスタコーヴィチの
交響曲第5番第一楽章を思わせるところもある。
ここでは木管楽器が雄弁に語り、活躍する。
第四楽章マエストーソのフィナーレ楽章は、
活気のあるトランペットの吹奏で始まる。
短い序奏のあと軽快な主題が奏され、
その主題を中心に様々な旋律が断片的に現れては消える。
後半は金管楽器が加わってから、小太鼓も加わると、
最後はショスタコーヴィチ風の勝利を謳歌するような
華やかな感じで全曲を閉じるが、このあたりが人間らしさの
にじみ出るエングルンドらしさなのかもしれない。
途中聴いたのは1916年生まれのエングルンドの作品。
彼はスウェーデンのゴットランド島東岸の
リューガムに生まれたフィンランドの作曲家で、
シベリウス音楽院で、作曲をベングト・カールソンに師事した。
交響曲第1番「戦争交響曲」は1946年に作曲された。
7つの交響曲を残している彼の最初となるこの交響曲は、
第二次世界大戦における彼の従軍経験から、
この副題が付けられたようだが、
彼自身はこの副題を気に入っていないようだ。
第一楽章テンポ・ディ・マルチャ・マ・ポコ・ペサンテは、
シリアスな感じの雰囲気で始まるが、
それは小太鼓のリズムに乗り軍隊的でもある。
もう一つの主題は管楽器によって現れる抒情的な主題である。
その二つの主題をもとに展開される音楽は、
しっかりとした技法で書かれており、聴き手を飽きさせない。
ショスタコーヴィチの交響曲第7番などを想起させる。
とはいえ、音楽自体は北欧的な部分も感じさせ独特である。
第二楽章ポコ・ヴィヴァーチェはスケルツォ楽章で、
木管楽器を中心に滑稽で軽快な音楽が展開される。
もちろん軍隊的な部分の影はここでも強く現れているが、
中間部は叙情的で幻想的で、北欧的な部分も感じる。
最後は次第に盛り上がり、狂乱的な感じで終わる。
第三楽章アダージョは、管楽器のソロが物悲しさを伝える。
ゆっくりとした足取りで、行進曲風に曲は進んでいく。
色々な形に主題は変形され、その中で奏される金管ソロや、
弦楽器の奏する一部がショスタコーヴィチの
交響曲第5番第一楽章を思わせるところもある。
ここでは木管楽器が雄弁に語り、活躍する。
第四楽章マエストーソのフィナーレ楽章は、
活気のあるトランペットの吹奏で始まる。
短い序奏のあと軽快な主題が奏され、
その主題を中心に様々な旋律が断片的に現れては消える。
後半は金管楽器が加わってから、小太鼓も加わると、
最後はショスタコーヴィチ風の勝利を謳歌するような
華やかな感じで全曲を閉じるが、このあたりが人間らしさの
にじみ出るエングルンドらしさなのかもしれない。