久しぶりにゆったりとした数日を送った。
ローストビーフを作ってもらい、ワインを飲んだりし、
もう正月が来たかのような感じでくつろいでしまった。
メソド・サバとロジェ・サバの共著による
「出エジプト記の秘密」という本をやっと読み終え、
アメンホテプ4世の一神教による宗教改革の疑問と、
ユダヤ教がなぜ一神教なのか、そしてなぜユダヤ人が、
エジプトから脱出しなければいけなかったのか、
そういった謎が一気に解け、スッキリした気持ちである。
もちろん、それは推論の域を超えたものではない。
しかし、聖書の中になる不可解な文章には、
何かが隠されているように思っていた私にとっては、
最後の結びがいま一つではあるものの、十分な内容であった。
昨日は二俣川から三ツ境駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1950年生まれのスメラの作品。
今回もエストニアの作曲家をとりあげておく。
エストニアの音楽院で最初ヘイノ・エッヘルに師事し、
のちにヘイノ・ユリサルに師事し、作曲を学び1973年に卒業した。
1979年から1982年の間にはモスクワ音楽院で学び、
ロマン・レデネフに師事したようである。
交響曲第5番は1995年に作曲された作品で、
委嘱を受けたマルメ交響楽団に献呈されている。
冒頭から問いかけのように謎めいた鐘の音が鳴り響く。
これは12音の配列に基づいているようだ。
そのあと金管楽器が運命的な動機を6音で発する。
それはファ・ミ・レ・ミ・ファ・ファ(ミ)のハーモニーで、
この主題がこの交響曲の重要な要素の一つとなる。
その一方で弦楽器がうごめくような音の動きを奏し、
金管楽器による6つの音に対抗し、対照的な動きを見せる。
弦楽器によるその音楽は、自然の風景を描きつつ、
その中に躍動する生命をも描いているようである。
絶え間なく変化する自然と生命というものを感じる。
増殖する細胞、成長する動植物、そしてその生命力、
雑音のように思えるような様々な音が構成する世界が、
自然のようにも思えてしまうのも不思議なものである。
ここには様々な音が混在しているようでありながら、
それぞれの存在の意味を持っているようでもある。
後半では鐘の音が鳴り響き、リズミックな音型を繰り返す。
ポリフォニック的でありながら、決して無機的でも人工的でもなく、
そこに情熱とか感情も加わっている感じがする。
最後まで最初から投げかけられた問いのようなものが、
静かに闇の中に消えていくような音楽の中で、
解決されることなく、残ったまま終わる感じである。
ローストビーフを作ってもらい、ワインを飲んだりし、
もう正月が来たかのような感じでくつろいでしまった。
メソド・サバとロジェ・サバの共著による
「出エジプト記の秘密」という本をやっと読み終え、
アメンホテプ4世の一神教による宗教改革の疑問と、
ユダヤ教がなぜ一神教なのか、そしてなぜユダヤ人が、
エジプトから脱出しなければいけなかったのか、
そういった謎が一気に解け、スッキリした気持ちである。
もちろん、それは推論の域を超えたものではない。
しかし、聖書の中になる不可解な文章には、
何かが隠されているように思っていた私にとっては、
最後の結びがいま一つではあるものの、十分な内容であった。
昨日は二俣川から三ツ境駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1950年生まれのスメラの作品。
今回もエストニアの作曲家をとりあげておく。
エストニアの音楽院で最初ヘイノ・エッヘルに師事し、
のちにヘイノ・ユリサルに師事し、作曲を学び1973年に卒業した。
1979年から1982年の間にはモスクワ音楽院で学び、
ロマン・レデネフに師事したようである。
交響曲第5番は1995年に作曲された作品で、
委嘱を受けたマルメ交響楽団に献呈されている。
冒頭から問いかけのように謎めいた鐘の音が鳴り響く。
これは12音の配列に基づいているようだ。
そのあと金管楽器が運命的な動機を6音で発する。
それはファ・ミ・レ・ミ・ファ・ファ(ミ)のハーモニーで、
この主題がこの交響曲の重要な要素の一つとなる。
その一方で弦楽器がうごめくような音の動きを奏し、
金管楽器による6つの音に対抗し、対照的な動きを見せる。
弦楽器によるその音楽は、自然の風景を描きつつ、
その中に躍動する生命をも描いているようである。
絶え間なく変化する自然と生命というものを感じる。
増殖する細胞、成長する動植物、そしてその生命力、
雑音のように思えるような様々な音が構成する世界が、
自然のようにも思えてしまうのも不思議なものである。
ここには様々な音が混在しているようでありながら、
それぞれの存在の意味を持っているようでもある。
後半では鐘の音が鳴り響き、リズミックな音型を繰り返す。
ポリフォニック的でありながら、決して無機的でも人工的でもなく、
そこに情熱とか感情も加わっている感じがする。
最後まで最初から投げかけられた問いのようなものが、
静かに闇の中に消えていくような音楽の中で、
解決されることなく、残ったまま終わる感じである。