ベートーヴェンの交響曲シリーズに続き、
本日から交響曲ドイツ・オーストリア編の補足に入る。
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1784年生まれのリースの交響曲第4番。
フェルディナント・リースは、ボンに生まれた作曲家で、
音楽家の家族に生まれ、ベートーヴェンの弟子でもあるが、
略歴については器楽曲・室内楽曲編で触れたので省略する。
リースは8つの交響曲を作曲しており、
その交響曲全集を以前に買っていたことがあったので、
今回の機会にまずそのうちの一曲を聴いてみることにした。
交響曲第4番ヘ長調作品110は、1818年に作曲された。
出版は1823年で、1840年代には演奏会の中では、
よく取り上げられていたようである。
第一楽章アンダンテ-アレグロは、アンダンテの序奏が、
神秘的な感じで、ベートーヴェンの交響曲第4番の
第一楽章の序奏に似たような感じもある。
ドイツ的なホルンの吹奏のあと主部に入り、
ここで提示する元気な感じの最初の主題が提示され、
この旋律はベートーヴェン的であるが、
もう一つの主題はモーツアルト的な感じを受ける。
展開部はベートーヴェンからの影響もみられ、
再現部を経て、コーダに入ってからの部分も、
ベートーヴェン的で、華やかに終わる。
第ニ楽章アンダンティーノは、おだやかで平和な音楽である。
最初チェロのソロが活躍し、協奏曲風でいい。
その後様々な木管楽器のソロが活躍する。
チェロのソロは曲の途中で再び登場する。
最後は、ホルンの吹奏のあと、静かに消える。
第三楽章アレグロは、スケルツォ楽章である。
前楽章はベートーヴェンとはかなり違う感じがしたが、
この楽章はそのドイツ的で荒々しい感じが、
ベートーヴェンに近いものを感じさせる。
トリオは古典的で、チェロのソロで始まる。
その宮廷的な感じはハイドン的である。
再び冒頭の荒々しい感じが再現されるが、
トリオとの余りの音楽の変化には違和感がある。
第四楽章アレグロ・モルトは、軽快なフィナーレ楽章で、
主題の展開などベートーヴェン的なところがみられる。
モーツアルト的な部分を残しながらも、
ベートーヴェン的な展開という感じの音楽である。
最後は金管楽器と弦楽器中心に華々しく終わる。
本日から交響曲ドイツ・オーストリア編の補足に入る。
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1784年生まれのリースの交響曲第4番。
フェルディナント・リースは、ボンに生まれた作曲家で、
音楽家の家族に生まれ、ベートーヴェンの弟子でもあるが、
略歴については器楽曲・室内楽曲編で触れたので省略する。
リースは8つの交響曲を作曲しており、
その交響曲全集を以前に買っていたことがあったので、
今回の機会にまずそのうちの一曲を聴いてみることにした。
交響曲第4番ヘ長調作品110は、1818年に作曲された。
出版は1823年で、1840年代には演奏会の中では、
よく取り上げられていたようである。
第一楽章アンダンテ-アレグロは、アンダンテの序奏が、
神秘的な感じで、ベートーヴェンの交響曲第4番の
第一楽章の序奏に似たような感じもある。
ドイツ的なホルンの吹奏のあと主部に入り、
ここで提示する元気な感じの最初の主題が提示され、
この旋律はベートーヴェン的であるが、
もう一つの主題はモーツアルト的な感じを受ける。
展開部はベートーヴェンからの影響もみられ、
再現部を経て、コーダに入ってからの部分も、
ベートーヴェン的で、華やかに終わる。
第ニ楽章アンダンティーノは、おだやかで平和な音楽である。
最初チェロのソロが活躍し、協奏曲風でいい。
その後様々な木管楽器のソロが活躍する。
チェロのソロは曲の途中で再び登場する。
最後は、ホルンの吹奏のあと、静かに消える。
第三楽章アレグロは、スケルツォ楽章である。
前楽章はベートーヴェンとはかなり違う感じがしたが、
この楽章はそのドイツ的で荒々しい感じが、
ベートーヴェンに近いものを感じさせる。
トリオは古典的で、チェロのソロで始まる。
その宮廷的な感じはハイドン的である。
再び冒頭の荒々しい感じが再現されるが、
トリオとの余りの音楽の変化には違和感がある。
第四楽章アレグロ・モルトは、軽快なフィナーレ楽章で、
主題の展開などベートーヴェン的なところがみられる。
モーツアルト的な部分を残しながらも、
ベートーヴェン的な展開という感じの音楽である。
最後は金管楽器と弦楽器中心に華々しく終わる。