Mars&Jupiter

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ニューイヤー・コンサートとヨーゼフ・ハイドンの交響曲第45番嬰ヘ短調「告別」、そして横浜から星川まで

2009-01-06 06:33:04 | ヨーゼフ・ハイドンの作品
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1732年生まれのハイドンの交響曲第45番。
交響曲第45番嬰ヘ短調「告別」は、1772年に作曲された。
エステルハージ侯に対して、楽団員の帰宅を認めるように、
働きかけるためにユーモアをもってこの作品を書いた。
それがはっきりわかるのは終楽章のアダージョの部分に
入るまで分からないという視覚的効果をねらった作品である。

第一楽章アレグロ・アッサイは、悲劇的な主題による楽章で、
シュトゥルム・ウント・ドラング期的な音楽で、
ソナタ形式とはいえるが、通常のソナタ形式とは違う部分もある。
駆け抜けていくような音楽は短調の悲劇的な感じのまま終わる。
第ニ楽章アダージョは、優雅な感じの宮廷風の音楽で、
ソナタ形式で書かれており、しかし長調と短調の交替を繰り返し、
やや不安定な感じを思わせ、決して単純ではない。
第三楽章アレグレットはメヌエットとトリオで構成される。
華麗で優雅な感じのメヌエットは束の間の幸せのようでもある。
トリオにおけるホルンの吹奏はのどかな感じだが、
ここには影が少しあり、現実的な厳しさを感じさせる。
最初のメヌエットが最後また登場し、おだやかに終わる。
第四楽章プレストとアダージョの最初のプレストは、
悲劇的な主題に基づくソナタ形式の楽章である。
速いテンポで演奏され、そのあとゆるやかなアダージョとなる。
ここで演奏を繰り返す中、管楽器奏者から徐々に退席していく。
次第に弦楽器のみとなり、さびしくなっていく。
そのあとコントラバスなど低弦楽器も退席し、
ヴァイオリン奏者だけが最後取り残される。
視覚的に寂しい感じを思わせる交響曲の終わりである。
最後静かに終わったあとに残るのは寂しさだけである。

ウィーン・フィルハーモニーのニューイヤー・コンサートで、
今年指揮を取ったバレンボイムがこの曲を取り上げて、
ユーモアをまじえて演奏していたのが、印象的だった。
この曲を彼が選んだ真意が何かはわからないが、
昨年の世相もあってか私には現代社会へのメッセージに取れる。
雇用する側と雇用される側の関係は、現代となって非人間的となり、
雇用者が被雇用者を思いやる気持ちは薄くなった。
ハイドンがこの交響曲にメッセージとしてしのばせた気遣いの世界は、
現代社会では通用しないものとなってきている。
グローバリズムが進行していく現代において、
バレンボイム自身もハイドンのようにさりげなく、
我々にメッセージを送っているのかもしれない。
コメント
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