昨日は、横浜駅から中華街まで歩きました。
途中聴いたのは、1824年生まれのブルックナーの交響曲。
昨日は新年会が昼と夜にあり、あわただしい一日であった。
交響曲第2番ハ短調は1871年から1872年の間に作曲された。
高校時代にはよくホルスト・シュタイン指揮、
ウィーン・フィルのレコードを聞いていたが、
今回はウィリアム・キャラガン校訂による1872年版の
クルト・アイヒホルン盤を聴いてみることにした。
第一楽章アレグロは、ソナタ形式で書かれているが、
いかにもブルックナーらしい弦楽器のトレモロで始まる。
3つの主題が提示され、展開部に入る前のホルンの吹奏は、
雄大な自然を感じさせるものである。
展開部は第一主題、第三主題、第二主題の順に展開され、
このあたりの展開の手法は初期の作品とはいえなかなかである。
その後再現部に入り、最後のコーダはオーボエのソロのあと、
弦楽器と金管楽器中心に堂々とした終わり方である。
第ニ楽章スケルツォ(急速に)は、1873年版では、
アダージョと順番が入れ替わっているのだが、
不思議に聴いた感じ、その入れ替えに関する違和感はない。
このスケルツォもブルックナーらしい荒々しく、
迫力感あふれる音楽を聴くことができる。
トリオはアルプスの山々と自然を感じさせるような
のびのびとした牧歌的な音楽である。
再びスケルツォの荒々しい音楽が繰り返され、
反復のある分だけ通常の版よりも長くなっている。
第三楽章アダージョ(いくらか動きをもって)は、
弦楽器中心にのどかでゆったりとした美しい旋律が聴ける。
ミサ曲からの引用もあり、宗教的な色彩も強い。
途中ヴァイオリン・ソロが聴けるのが1872年版の特徴である。
最後のホルンの吹奏の中、消えるように終わる。
第四楽章フィナーレ(ずっと速く)は、ソナタ形式で書かれ、
堂々とした第一主題が金管楽器も加わって登場する。
提示部は長く3つの主題が示され、展開部に入る。
展開部の冒頭の美しい和音の部分など通常の版では、
大幅にカットされている部分も聴くことができる。
再現部は力強い第一主題が登場して始まる。
爆発的な感じで盛り上がる最後のコーダも素晴らしい。
途中聴いたのは、1824年生まれのブルックナーの交響曲。
昨日は新年会が昼と夜にあり、あわただしい一日であった。
交響曲第2番ハ短調は1871年から1872年の間に作曲された。
高校時代にはよくホルスト・シュタイン指揮、
ウィーン・フィルのレコードを聞いていたが、
今回はウィリアム・キャラガン校訂による1872年版の
クルト・アイヒホルン盤を聴いてみることにした。
第一楽章アレグロは、ソナタ形式で書かれているが、
いかにもブルックナーらしい弦楽器のトレモロで始まる。
3つの主題が提示され、展開部に入る前のホルンの吹奏は、
雄大な自然を感じさせるものである。
展開部は第一主題、第三主題、第二主題の順に展開され、
このあたりの展開の手法は初期の作品とはいえなかなかである。
その後再現部に入り、最後のコーダはオーボエのソロのあと、
弦楽器と金管楽器中心に堂々とした終わり方である。
第ニ楽章スケルツォ(急速に)は、1873年版では、
アダージョと順番が入れ替わっているのだが、
不思議に聴いた感じ、その入れ替えに関する違和感はない。
このスケルツォもブルックナーらしい荒々しく、
迫力感あふれる音楽を聴くことができる。
トリオはアルプスの山々と自然を感じさせるような
のびのびとした牧歌的な音楽である。
再びスケルツォの荒々しい音楽が繰り返され、
反復のある分だけ通常の版よりも長くなっている。
第三楽章アダージョ(いくらか動きをもって)は、
弦楽器中心にのどかでゆったりとした美しい旋律が聴ける。
ミサ曲からの引用もあり、宗教的な色彩も強い。
途中ヴァイオリン・ソロが聴けるのが1872年版の特徴である。
最後のホルンの吹奏の中、消えるように終わる。
第四楽章フィナーレ(ずっと速く)は、ソナタ形式で書かれ、
堂々とした第一主題が金管楽器も加わって登場する。
提示部は長く3つの主題が示され、展開部に入る。
展開部の冒頭の美しい和音の部分など通常の版では、
大幅にカットされている部分も聴くことができる。
再現部は力強い第一主題が登場して始まる。
爆発的な感じで盛り上がる最後のコーダも素晴らしい。