昨日は二俣川から上矢部町まで歩き、そこから戸塚まで歩きました。
二俣川から上矢部まではおよそ1時間20分かかりました。
途中聴いたのはグスタフ・マーラーの作品で、
1910年から作曲され、未完のままで終わった交響曲第10番嬰ヘ長調である。
今回聴いたCDは、ユージン・オーマンディ指揮、
フィラデルフィア管弦楽団の演奏によるもので、
デリック・クックによる改訂第2版に基づいた完成版である。
第一楽章アダージョは、弦合奏によってゆったり始まる。
その叙情的な旋律は、金管楽器が加わり情熱的にもなるが、
死を恐れるマーラーの不安な心情が投影され、
曲想は舞曲風になるかと思うと、感傷的になり絶えず変化していく。
オーマンディは比較的速いテンポで進めていく。
15分くらいから始まる管弦楽によるトッティは、
死の瞬間を感じさせる音楽で、不協和音を含み、印象的である。
これが二度繰り返されたあとは、天国のような安らかな音楽となり、
宇宙を感じさせる音楽となり、静寂な感じの中で終わる。
第二楽章スケルツォ第1は、舞曲風の音楽で、
軽快な中間部のトリオをはさみ、
最初の舞曲風の主題を中心に最後は華やかな感じで終わる。
第三楽章プルガトリオ(煉獄)は、軽快な短い楽章である。
迷いの世界のようなおぼつかない感じのする音楽である。
第四楽章スケルツォ第2は、ワルツ風の音楽であるが、
スケッチには「悪魔が私と一緒に踊る」と書いていたようで、
単純に明るい音楽というよりは、不気味さや狂気をも感じさせる。
最後打楽器と低弦のみの最弱音で終わるが、最後に大太鼓の強打の一音で終わる。
ウィン・モリス盤ではCD化の際にその一音がカットされてしまったが、
オーマンディ盤ではちゃんと入っている。
第五楽章フィナーレは、再び大太鼓の強打の一音で始まる。
フルート・ソロによる旋律や弦楽器で奏される旋律は美しい。
この世を惜しむような感傷的な音楽である。
大太鼓の強打の一音は何度か登場し、そこから展開部に入る。
11分あたりから第一楽章の主題が再現されて、
そのあとはロマンティックな旋律が奏されて美しい。
オーマンディ盤はその情緒に流されずあっさりとした表現である。
マーラーの生に対する執着を感じさせる楽章である。
最後は穏やかな音楽となって、消え入るように静かに終わる。
二俣川から上矢部まではおよそ1時間20分かかりました。
途中聴いたのはグスタフ・マーラーの作品で、
1910年から作曲され、未完のままで終わった交響曲第10番嬰ヘ長調である。
今回聴いたCDは、ユージン・オーマンディ指揮、
フィラデルフィア管弦楽団の演奏によるもので、
デリック・クックによる改訂第2版に基づいた完成版である。
第一楽章アダージョは、弦合奏によってゆったり始まる。
その叙情的な旋律は、金管楽器が加わり情熱的にもなるが、
死を恐れるマーラーの不安な心情が投影され、
曲想は舞曲風になるかと思うと、感傷的になり絶えず変化していく。
オーマンディは比較的速いテンポで進めていく。
15分くらいから始まる管弦楽によるトッティは、
死の瞬間を感じさせる音楽で、不協和音を含み、印象的である。
これが二度繰り返されたあとは、天国のような安らかな音楽となり、
宇宙を感じさせる音楽となり、静寂な感じの中で終わる。
第二楽章スケルツォ第1は、舞曲風の音楽で、
軽快な中間部のトリオをはさみ、
最初の舞曲風の主題を中心に最後は華やかな感じで終わる。
第三楽章プルガトリオ(煉獄)は、軽快な短い楽章である。
迷いの世界のようなおぼつかない感じのする音楽である。
第四楽章スケルツォ第2は、ワルツ風の音楽であるが、
スケッチには「悪魔が私と一緒に踊る」と書いていたようで、
単純に明るい音楽というよりは、不気味さや狂気をも感じさせる。
最後打楽器と低弦のみの最弱音で終わるが、最後に大太鼓の強打の一音で終わる。
ウィン・モリス盤ではCD化の際にその一音がカットされてしまったが、
オーマンディ盤ではちゃんと入っている。
第五楽章フィナーレは、再び大太鼓の強打の一音で始まる。
フルート・ソロによる旋律や弦楽器で奏される旋律は美しい。
この世を惜しむような感傷的な音楽である。
大太鼓の強打の一音は何度か登場し、そこから展開部に入る。
11分あたりから第一楽章の主題が再現されて、
そのあとはロマンティックな旋律が奏されて美しい。
オーマンディ盤はその情緒に流されずあっさりとした表現である。
マーラーの生に対する執着を感じさせる楽章である。
最後は穏やかな音楽となって、消え入るように静かに終わる。