昨日は三枚町から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのはグスタフ・マーラーの作品で、
1906年に作曲された交響曲第8番変ホ長調である。
今回聴いたCDは、クリスティーン・ブリューワー、
シオレ・イソ コスキ、ユリアーネ・バンゼのソプラノ、
ビルギット・レンメルト、ジェーン・ヘンシェルのアルト、
ジョン・ヴィラーズのテノール、ジョン・リライヤのバス、
デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソンのバリトン、
バーミンガム市合唱団とロンドン交響合唱団、
バーミンガム市交響楽団ユース合唱団、トロント児童合唱団、
サイモン・ラトル指揮のバーミンガム市交響楽団の演奏による。
第1部「来たれ創造主なる霊よ」は、オルガンの響く音に、
合唱が加わって堂々と第一主題が奏されて始まる。
何しろラトル盤は録音がいいので、
それぞれの楽器の音、独唱者の声がしっかり聞こえる。
第二主題は第一ソプラノの歌によって始まる。
提示部が終わると展開部でこの二つの主題が変形され、
さらに壮大さを加えていくのだが、
その中でもある場面では室内楽を聞いているように、
感じさせてくれるのがラトル盤である。
再現部を経て、最後のコーダで金管楽器が活躍し、
堂々とした感じで終わるのだが、なぜかすがすがしい。
第2部「ファウストからの終幕の場」は、3つの部分からなる。
最初のポコ・アダージョの部分は神秘的な感じで始まる。
弦楽器と木管楽器によって始まるこの穏やかな音楽に、
やがて合唱が加わり、児童合唱団とテノール独唱が加わっていく。
第二の部分は、女声合唱が中心となり、ソプラノ独唱も活躍する。
そして第三の部分はマリアを讃える学者であるテノール独唱で始まる。
その後管弦楽の間奏が終わると美しい「神秘の合唱」となる。
この音楽は、宇宙を感じさせる神秘的で壮大な感じの歌である。
最後は交響曲の冒頭の主題も再現され、
金管楽器による華々しい響きの中で終わる。
それにしてもラトル盤を聴くと曲を聴いた感動というよりも、
とにかく録音自体はよいから、各楽器の音がよく聴こえ、
各楽器がアンサンブルを楽しんでいるような印象を持つ。
これは第8番に限ったことではなく、他の交響曲も同様である。
感動したという感覚を持てないのは、今や古い感覚なのだろうか。
これも別なアプローチの仕方なのかもしれない。
新しい時代のマーラー像かもしれない。
しかし、何か物足りなさを感じてしまうのである。
途中聴いたのはグスタフ・マーラーの作品で、
1906年に作曲された交響曲第8番変ホ長調である。
今回聴いたCDは、クリスティーン・ブリューワー、
シオレ・イソ コスキ、ユリアーネ・バンゼのソプラノ、
ビルギット・レンメルト、ジェーン・ヘンシェルのアルト、
ジョン・ヴィラーズのテノール、ジョン・リライヤのバス、
デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソンのバリトン、
バーミンガム市合唱団とロンドン交響合唱団、
バーミンガム市交響楽団ユース合唱団、トロント児童合唱団、
サイモン・ラトル指揮のバーミンガム市交響楽団の演奏による。
第1部「来たれ創造主なる霊よ」は、オルガンの響く音に、
合唱が加わって堂々と第一主題が奏されて始まる。
何しろラトル盤は録音がいいので、
それぞれの楽器の音、独唱者の声がしっかり聞こえる。
第二主題は第一ソプラノの歌によって始まる。
提示部が終わると展開部でこの二つの主題が変形され、
さらに壮大さを加えていくのだが、
その中でもある場面では室内楽を聞いているように、
感じさせてくれるのがラトル盤である。
再現部を経て、最後のコーダで金管楽器が活躍し、
堂々とした感じで終わるのだが、なぜかすがすがしい。
第2部「ファウストからの終幕の場」は、3つの部分からなる。
最初のポコ・アダージョの部分は神秘的な感じで始まる。
弦楽器と木管楽器によって始まるこの穏やかな音楽に、
やがて合唱が加わり、児童合唱団とテノール独唱が加わっていく。
第二の部分は、女声合唱が中心となり、ソプラノ独唱も活躍する。
そして第三の部分はマリアを讃える学者であるテノール独唱で始まる。
その後管弦楽の間奏が終わると美しい「神秘の合唱」となる。
この音楽は、宇宙を感じさせる神秘的で壮大な感じの歌である。
最後は交響曲の冒頭の主題も再現され、
金管楽器による華々しい響きの中で終わる。
それにしてもラトル盤を聴くと曲を聴いた感動というよりも、
とにかく録音自体はよいから、各楽器の音がよく聴こえ、
各楽器がアンサンブルを楽しんでいるような印象を持つ。
これは第8番に限ったことではなく、他の交響曲も同様である。
感動したという感覚を持てないのは、今や古い感覚なのだろうか。
これも別なアプローチの仕方なのかもしれない。
新しい時代のマーラー像かもしれない。
しかし、何か物足りなさを感じてしまうのである。