昨日は二俣川から鶴ヶ峰まで歩きました。
途中聴いたのはマーラーの交響曲第6番のヤルヴィ盤に
収められている交響的前奏曲という作品である。
マーラーの作品の紹介は残すところ交響曲第7番のみなのだが、
ここで偽作の可能性の高い、交響的前奏曲をとりあげてみる。
今回聴いたCDは、ネーメ・ヤルヴィ指揮、
ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団によるものである。
アルブレヒト・グエルシンクがオーケストレーションを手がけ、
現在聴くことのできるこの交響的前奏曲は、
マーラーの習作ではないかという説と
ブルックナーの作品ではないかという説があるようだ。
実際に聴いてみるとこれまたどちらともいいがたい。
最初の始まりはマーラーっぽいところもあるのだが、
主題を聴くとブルックナー的でもあるし、
しかしこれは管弦楽化をしたグエルシンクが、
マーラー風にしたということも考えられる。
主題が繰り返されながら、最後も盛り上がったまま終わるのだが、
この曲はマーラーの習作といえるかというと主題からして
そうではないような気がするのである。
途中聴いたのはマーラーの交響曲第6番のヤルヴィ盤に
収められている交響的前奏曲という作品である。
マーラーの作品の紹介は残すところ交響曲第7番のみなのだが、
ここで偽作の可能性の高い、交響的前奏曲をとりあげてみる。
今回聴いたCDは、ネーメ・ヤルヴィ指揮、
ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団によるものである。
アルブレヒト・グエルシンクがオーケストレーションを手がけ、
現在聴くことのできるこの交響的前奏曲は、
マーラーの習作ではないかという説と
ブルックナーの作品ではないかという説があるようだ。
実際に聴いてみるとこれまたどちらともいいがたい。
最初の始まりはマーラーっぽいところもあるのだが、
主題を聴くとブルックナー的でもあるし、
しかしこれは管弦楽化をしたグエルシンクが、
マーラー風にしたということも考えられる。
主題が繰り返されながら、最後も盛り上がったまま終わるのだが、
この曲はマーラーの習作といえるかというと主題からして
そうではないような気がするのである。