昨日は三枚町から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのはグスタフ・マーラーの作品で、
1888年から1896年にかけて作曲された
歌曲集「子供の不思議な角笛」である。
アルニムとブレンターノという二人のドイツの詩人による
「子供の不思議な角笛(少年の魔法の角笛)」がテキストとなっている。
今回聴いたCDは、イリス・フェルミリオンのソプラノ、
ベルント・ヴァイクルのテノール、エリアフ・インバル指揮、
ウィーン交響楽団の演奏による。
今回はその聴いた中から4曲ほどあげて説明したい。
「歩哨の夜の歌」は、太鼓と金管楽器により勇ましく始まる。
軍隊の行進を思わせる音楽の中で、
夜の歩哨の任務に就く兵士の辛さと、
それを慰めようとする恋人のことばのやりとりが続く。
「この歌をひねり出したのはだれ?」は、
木管楽器と弦楽器により始まるレントラー舞曲に乗り、
牧歌的で愛らしい旋律が歌われる短い曲である。
「不幸中の幸い」は、太鼓と金管楽器により始まる。
出征する兵士と恋人の間で互いが威勢を張り合う。
おまえ(あなた)に会わなくとも生きていけそうだという
その歌のやりとりの中に戦争で引き裂かれる男女の
引き返せない運命とドラマを見ることができそうだ。
「うき世の暮らし」は、飢えた子に今麦を刈るからねと、
今麦を刈るからね、今パンを焼くからねと母がこたえていく。
しかし、パンが焼きあがった時には子どもは亡くなっていたという
社会風刺的な内容を持った歌曲である。
最後の結末に至るドラマティックな盛り上がりと、
子どもの死を意味するシンバルの音による描写が素晴らしい。
「魚に説教するパドヴァのアントニウス」は、
交響曲第2番の第3楽章で旋律に使われている歌曲。
クラリネットとファゴットなどが活躍する曲である。
滑稽な風刺的な内容が、牧歌的な伴奏の中で歌われる。
最後のホルンとシンバルで終わるところがなかなかである。
途中聴いたのはグスタフ・マーラーの作品で、
1888年から1896年にかけて作曲された
歌曲集「子供の不思議な角笛」である。
アルニムとブレンターノという二人のドイツの詩人による
「子供の不思議な角笛(少年の魔法の角笛)」がテキストとなっている。
今回聴いたCDは、イリス・フェルミリオンのソプラノ、
ベルント・ヴァイクルのテノール、エリアフ・インバル指揮、
ウィーン交響楽団の演奏による。
今回はその聴いた中から4曲ほどあげて説明したい。
「歩哨の夜の歌」は、太鼓と金管楽器により勇ましく始まる。
軍隊の行進を思わせる音楽の中で、
夜の歩哨の任務に就く兵士の辛さと、
それを慰めようとする恋人のことばのやりとりが続く。
「この歌をひねり出したのはだれ?」は、
木管楽器と弦楽器により始まるレントラー舞曲に乗り、
牧歌的で愛らしい旋律が歌われる短い曲である。
「不幸中の幸い」は、太鼓と金管楽器により始まる。
出征する兵士と恋人の間で互いが威勢を張り合う。
おまえ(あなた)に会わなくとも生きていけそうだという
その歌のやりとりの中に戦争で引き裂かれる男女の
引き返せない運命とドラマを見ることができそうだ。
「うき世の暮らし」は、飢えた子に今麦を刈るからねと、
今麦を刈るからね、今パンを焼くからねと母がこたえていく。
しかし、パンが焼きあがった時には子どもは亡くなっていたという
社会風刺的な内容を持った歌曲である。
最後の結末に至るドラマティックな盛り上がりと、
子どもの死を意味するシンバルの音による描写が素晴らしい。
「魚に説教するパドヴァのアントニウス」は、
交響曲第2番の第3楽章で旋律に使われている歌曲。
クラリネットとファゴットなどが活躍する曲である。
滑稽な風刺的な内容が、牧歌的な伴奏の中で歌われる。
最後のホルンとシンバルで終わるところがなかなかである。