Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

エルンスト・フォン・ドホナーニの童謡の主題による変奏曲を聴きながら、西谷駅から鶴ヶ峰駅まで歩く

2008-05-26 07:24:00 | 古典~現代音楽ハンガリー編
焼きたてのポン・デ・ケージョはうまい。
ブラジル食品を売っている綾瀬市のお店に先日行った時、
よく見かけるヨーキ(与喜)社のものがなかった。
そこで仕方なくヒカリ社の粉を買ったのだが、
作ってもらったポン・デ・ケージョの味は最高であった。

昨日は西谷駅から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
久しぶりに西谷までは帷子川沿いに歩きました。
途中聴いたのは、1877年ハンガリー生まれのドホナーニの作品。
ブタペスト音楽アカデミーで学んだあと、
ダルベールなどに師事し、ピアニストとして成功をおさめ、
その後教育者・指揮者としても活躍した作曲家である。
童謡の主題による変奏曲作品25は、1914年に作曲された。
管弦楽とピアノ独奏による作品のため、器楽曲として触れる。
ベルリン高等音楽学校で教鞭をとっていた時代の作品で、
曲の序奏のあとに提示される童謡の主題とは、
何とあの有名な「きらきら星」である。
その後その主題にもとづく11の変奏とフーガで構成される。

ここには彼の折衷的な音楽の特徴を知ることができる。
冒頭の序奏は管弦楽による音楽はワグナー的であり、
リヒャルト・シュトラウスを思わせる後期ロマン派的でもある。
主題の「きらきら星」はフランスのシャンソンから来ているようだ。
第1の変奏から始まるピアノの技巧的な演奏は、
ショパンやチャイコフスキーなどのピアノ曲や協奏曲を思わせる。
第3や第7の変奏で管弦楽に登場する
夢みるようなワルツ風の音楽はウィーン風である。
第8の変奏の行進曲的な音楽は、チャイコフスキー風で、
ところどころではマーラー風であったりする。
第9の変奏はダンディの「魔法使いの弟子」を聴いているかのよう。
第10の変奏のロマンティックな音楽はブラームス風だ。
第11の変奏で「きらきら星」の主題がおぼろげに登場し、
最後のフィナーレは「きらきら星」の主題によるフーガとなる。
このフィナーレの最後で主題「きらきら星」が再現され、
最後壮大なコーダで終わるという不思議な作品である。
ともかくつかみどころのないドホナーニの音楽の側面が、
この曲の中から垣間見れる感じがするのである。
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アントニン・ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第8番を聴きながら、二俣川からかしわ台駅まで歩く

2008-05-25 06:18:34 | アントニン・ドヴォルザークの作品
昨日は家で餃子を午前中から昼にかけて60個作りました。
(だから夕飯は餃子。ただし、皮は市販のものを使いました)
午後から二俣川からかしわ台駅まで歩きました。
途中雨も降り出し、服はぬれてしまったが、
何とかしてさがみ野の駅を過ぎてから、かしわ台駅方面に歩き、
県道42号線との交差点を左に曲がり、
綾瀬市の寺尾中4丁目付近を右に曲がり住宅街の中を歩く。
目的地のブラジル食品スーパーのSUPER FOOD’S Brasilで
ポン・デ・ケージョの粉を探すが、なかなか見つからず、
やっと戸棚の中から探して、レジで購入する。
何かここは空間が日本とは違い、ブラジルである。
(といいながら、私はブラジルに行ったことはない。
しかし、店内はブラジルの人たちばかりで賑わっていた)
そのあと住宅街をぬけてかしわ台の駅にたどりついた。
時間としては2時間半くらいかかった。

途中聴いたのは、1841年チェコ生まれのドヴォルザークの作品。
以前買ったままにして聴いていなかった
プラハ弦楽四重奏団による全集の中から、
第8番と第9番を聴くことにした。
弦楽四重奏曲第8番ホ長調作品80(B.57)は、
1876年に作曲された作品で、4楽章からなる。
第1楽章アレグロは、ところどころスラヴ的な部分がみえる。
明るい部分と暗い部分をみることができ、対比的である。
少し寂しげに聴こえるのは、長女を失った悲しみからだろうか。
十分にしっかりとした構成となっており、終わり方もさわやかである。
第2楽章アンダンテ・コン・モルトの冒頭は、
悲しみにあふれているが、その悲しみの旋律で終わらず、
そのあとの優しい音楽がいいバランスを作っている。
亡くした長女との想い出がそこにあるような感じがして、
人間らしいドヴォルザークの側面をみることができる。

第3楽章アレグロ・スケルツァンドは優雅な音楽で、
前の2つの楽章とは対照的に明るい感じで始まり、
舞曲風の音楽であるが、中間部は一方の陰の部分が顔を出す。
最後はそれを忘れるかのように冒頭の優雅な舞曲風の音楽が、
再現されて、明るい感じで終わる。
第4楽章フィナーレ:アレグロ・コン・ブリオは、
悲劇的な感じが最初のところからあふれている。
スラヴ的な舞踏的な要素はところどころで出ているが、
悲劇的な主題と対照的な明るい主題を使い曲は展開される。
その主題の扱い方には熟練したものを感じる。

弦楽四重奏曲第9番ニ長調作品34(B.75)は、
1877年に作曲された作品で、同じく4楽章からなる。
第1楽章アレグロは冒頭から深い悲しみに陥ったような、
悲しみにあふれているが、これも長女を失ったことの影響が、
ここにおいても残っているといっていいのだろうか。
曲はスラヴ的な舞踏的な部分を示しつつ、
主題の扱いや展開のしかたなどの構成面はすばらしい。
再現部で再び最初の主題が登場するとはっとさせられる。
最後のコーダにも成長のあとがみられる気がする。
第2楽章アラ・ポルカ:アレグレット・スケルツァンドは、
弾んだポルカの感じで始まり、軽快な感じがいい。
とてもスラヴ的な感じもして、彼らしさが出ている気がする。
中間部のトリオはそれまでの感じとは違い、
田園的・牧歌的な感じをただよわせる曲である。
最後は再びポルカ風の音楽が奏され、
ところどころで陰はあるが、最後は明るく終わる。
第3楽章アダージョはおだやかでゆったりとした曲。
一つの主題に基づく変奏曲形式の曲で書かれているようだ。
第4楽章フィナーレ:ポコ・アレグロは、
主題に基づき展開されていくのだが、
ブラームスの音楽からの影響を感じる。
ベートーヴェンの交響曲第5番第3楽章からの
影響もあるような箇所もあり、ドイツ風で、
構成がしっかりした楽章である。
ドヴォルザークの弦楽四重奏曲もなかなかである。
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モーリッツ・モシュコフスキの「女道化師」を聴きながら、西谷駅から希望が丘駅まで歩く

2008-05-24 09:10:15 | 古典~現代音楽ポーランド編
昨日は西谷駅から希望が丘駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1854年ポーランド生まれの
モシュコフスキーのピアノ小品の「女道化師」作品52の4。
ピアノのための6つの幻想曲集の中の4曲目にあたる。
モシュコフスキはドイツで音楽を学び、その後はパリに住み、
ピアニストや音楽教師としても活動したようだ。

「女道化師」の作曲年代はよくわからないが、
アンコール曲として演奏されることのある作品だ。
ホルヘ・ボレットがカーネギー・ホールで、
1974年2月25日に行ったコンサートの
アンコール曲として演奏している。
2分足らずの短い曲であるが、華やかさがあり、
パリ風のおしゃれなセンスを感じる曲である。

彼にピアノを学んだことのあるヨーゼフ・ホフマンも、
モシュコフスキのピアノ小品を1916年に録音に残している。
作曲年代不詳のスペイン奇想曲作品37の、
ホフマン盤の録音は古く、しかも短縮版ということなので、
曲のすべてを演奏しているわけではないのだが
モシュコフスキのスペイン的な音楽趣味を十分伝えてくれる。
もちろんスペイン民俗音楽から素材をとってはいるが、
どこかショパンなどの作品などを思わせるところがある。
そういうことを思いながら、ヨーゼフ・ホフマンが弾く、
「女道化師」を聴くと、ショパンの音楽との近さも感じてしまう。
一見、ポーランド生まれといってもポーランドには
関係なさそうにみえた音楽がそうではなくなってみえる。

自分のホームページの一部リニューアルしました。
そこに前回のイタリア・スペイン・ポルトガル編に関するCD等の
情報を載せています。具体的には、以下のアドレスです。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/chamber-music-cd-it-sp-po.html

を参考にしていただければ幸いです。
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ゾルターン・コダーイの無伴奏チェロ・ソナタを聴きながら、星川駅から横浜まで歩く

2008-05-23 07:17:08 | 古典~現代音楽ハンガリー編
昨日は星川駅から横浜まで歩きました。
途中聴いたのは、1882年生まれのコダーイの作品。
コダーイが1915年に作曲した無伴奏チェロ・ソナタ作品8は、
無伴奏チェロの作品の中でも傑作に入るだろう。
チェロ奏者には高度な演奏上の技巧が要求される一方、
第3弦(G)と第4弦(C)の2つの弦を、
半音下げるという調弦をすることで、
民族的な音階を用いることができ、
民族色の強い作品となっている。

ソナタ形式で作られ、悲痛な感じの主題から始まる
第1楽章アレグロ・マエストーソ・マ・アパッシオナートは、
コダーイの心の内にある何か訴えるような感情や、
絶望感やためいきを表現しているようでもある。
その意味では人間の声に近いといわれるチェロという楽器を
表現手段として使うのは、まさに最適なのかもしれない。

第2楽章アダージョは、深く思いつめたような音楽で、
中間部では時々激しさを持った音楽になったりする。
その中間部では、まるでモンゴルの馬頭琴による
民族的な音楽を聴いているような、
アジア的だなあと思わせる部分がある。
ハンガリーの音楽的な特質にも関係するだろう。
そういう意味ではチェロという楽器の可能性を
さらに広げていうようにも思えるのだ。

第3楽章アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェは、
軽快なテンポで始まり、民族的な舞踏風の音楽が支配的だ。
チェロ奏者としても高度な技巧を
要求される楽章ではないだろうか。
それにしてもチェロという楽器一つで、
このような素晴らしい音楽ができてしまうなんて、
音楽の世界の奥はやはり深いものである。
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ジョルジュ・エネスコのピアノ・ソナタ第3番を聴きながら、天王町駅から横浜まで歩く

2008-05-22 05:42:41 | 古典~現代音楽バルカン地域編
昨日は天王町駅から横浜まで歩きました。
途中聴いたのは、1881年ルーマニア生まれのエネスコの作品。
今日からは東欧編に入るが、ピアニストのリパッティが、
残した録音の中にエネスコのピアノ・ソナタ第3番が、
おさめられていたので聴いてみることにした。
録音はとにかく古いので聴きにくくはあるのだが、
この曲の演奏というとリパッティの盤があがるほどである。

エネスコのピアノ・ソナタ第3番ニ長調作品24は、
1934年に作曲された作品である。
第1楽章ヴィヴァーチェ・コン・ブリオは、
フランス風の作品で、スケルツォ風である。
新古典主義的な雰囲気も漂わせている。
第2楽章アンダンティーノは、叙情的で繊細さがあり、
おだやかな曲調かと思うと、情熱的なところもある。
第3楽章アレグロ・コン・スピリートは、
雨だれのように最初音が刻まれながら、
即興的で繊細さを持った曲は、時折激しさを伴い、
ルーマニア的な部分もみせながら、
第1楽章にみられた主題なども再現され、
最後一気に高まりを見せて終わる。
ルーマニアに帰ることのなく、パリにとどまり生きた
彼の人生を物語る作品の一つといっていいのかもしれない。
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