駅から10分ほど住宅地のなかを歩いたところに、「自由が丘の家」はあります。かつて道沿いの家々には、今よりももっと多くの緑があり、春には見事な桜のトンネルができるほどでした。そのような古色ある雰囲気は、だんだんと見かけなくなってきました。
「自由が丘の家」の敷地にも、同じように古い家がありました。半世紀の時間を帯び、少し傾いた大谷石の塀の上からは、大きな木々が顔をのぞかせていました。特にかわったところのない、ごくごく普通の家でしたが、重ねてきた時間の分だけ、独特の雰囲気をもっていました。それは、街並みの記憶のようでもあり、そこに生きた人の記憶のようでもあり。
観念的なイメージの話ですが、こういうことが、街並みの「奥行き」につながっていくような気がします。
新しく家を建てることによって、街並みの「奥行き」を消し去ることは避けたいと考えました。言ってみれば、「奥行き」の只中に参加していく、というような感覚でしょうか。ただし、たんに懐古主義に縛られるわけではなく、「変わるもの」と「変わらないもの」が積極的に共存できるような、そんな場所をつくりたいと思ったのです。
古いもの、新しいもの、かわるもの、かわらないもの。それらが同時にひとつの敷地のなかに散りばめられている、そんなイメージです。この小さな模型は、そんなイメージをもとにつくったものでした。
敷地にあった木々は、なるべく残すようにしました。一方で、新しい建物には、以前建っていた家の面影は一切ありません。道路に面した老木のその奥に、新しい家屋が白い静かな表情で佇んでいます。この白い壁に塗られているのは珪藻土。竣工から5年経った今でも、その雰囲気を変えることはありません。この場所にずっとあり続けて、これからもあり続るような 雰囲気を、その寡黙な表情のなかにずっと宿せたらいいと思っています。