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自由が丘の家.2~街並みの「奥行き」~

2006-09-07 21:27:57 | 自由が丘の家

060907駅から10分ほど住宅地のなかを歩いたところに、「自由が丘の家」はあります。かつて道沿いの家々には、今よりももっと多くの緑があり、春には見事な桜のトンネルができるほどでした。そのような古色ある雰囲気は、だんだんと見かけなくなってきました。

「自由が丘の家」の敷地にも、同じように古い家がありました。半世紀の時間を帯び、少し傾いた大谷石の塀の上からは、大きな木々が顔をのぞかせていました。特にかわったところのない、ごくごく普通の家でしたが、重ねてきた時間の分だけ、独特の雰囲気をもっていました。それは、街並みの記憶のようでもあり、そこに生きた人の記憶のようでもあり。
観念的なイメージの話ですが、こういうことが、街並みの「奥行き」につながっていくような気がします。

新しく家を建てることによって、街並みの「奥行き」を消し去ることは避けたいと考えました。言ってみれば、「奥行き」の只中に参加していく、というような感覚でしょうか。ただし、たんに懐古主義に縛られるわけではなく、「変わるもの」と「変わらないもの」が積極的に共存できるような、そんな場所をつくりたいと思ったのです。
古いもの、新しいもの、かわるもの、かわらないもの。それらが同時にひとつの敷地のなかに散りばめられている、そんなイメージです。この小さな模型は、そんなイメージをもとにつくったものでした。

060907_1

敷地にあった木々は、なるべく残すようにしました。一方で、新しい建物には、以前建っていた家の面影は一切ありません。道路に面した老木のその奥に、新しい家屋が白い静かな表情で佇んでいます。この白い壁に塗られているのは珪藻土。竣工から5年経った今でも、その雰囲気を変えることはありません。この場所にずっとあり続けて、これからもあり続るような 雰囲気を、その寡黙な表情のなかにずっと宿せたらいいと思っています。

060907_2

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ちいさな写真のなかに

2006-09-04 21:44:29 | 写真

建築に写真はつきものです。本来は実際に建物を訪れることによって、そこにある雰囲気がようやく感ぜられるものだとは思います。が、なかなかそういうわけにはいかない。そこで写真に撮って紹介することになります。

このブログでも、写真をつかっていろいろなものを伝えたいと思い、これまで撮りためてきた写真を整理していると、やはりひとつの疑問が湧いてきます。
その場の雰囲気が伝わる写真とは何か。

姿かたちを紹介しようとすれば、なるべく広い範囲が一枚の画面におさまっているほうがわかりやすい。が、僕にはこれはどうもしっくりきませんでした。できあがった写真を見ると、どうもよそよそしいのです。それは、カメラの力を利用して無理に広い範囲を撮るので、実際の距離感やスケール感から逸脱してしまうからかもしれません。
少なくとも、住宅という最も人間に身近な環境を映すのに、これでは意味がないと思うことがあります。
そこで僕は、いわゆる「標準レンズ」と呼ばれるものをつかって建築の写真を撮ることにしています。このレンズは、人間の目の距離感と近似していて、つまり、目の前にある光景の雰囲気をもっとも忠実に再現するものなのです。その代わり、建物の空間全体の姿かたちを撮るには、あまりにも画面の範囲がせまい。あくまで建築写真としては不適切なのです。
それでも、僕はそれでいいと思っています。目の前にある雰囲気をきちんと映し込むこと。そしてそれが素晴らしいものであること。たとえ全体のかたちがわからずとも、その限られた断片のなかに、場所の雰囲気の質は切々と宿ると考えているからです。

Photo

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自由が丘の家.1~記憶のただよう場所~

2006-09-01 21:04:43 | 自由が丘の家

世紀がかわるころ、一軒の住宅の建設に没頭していました。それは両親のための家でした。

両親が祖父母から受け継いだ土地には、半世紀にわたって建つ家がありました。

古い家で過ごした時間。

遠い記憶。

身近な想い出。

これから。

老朽化した家を建て替えるにあたり、過去のすべてを消し去ってしまうのではなく、新しい生活の時間と共に等価なものとして扱いたい。そんなようなことを漠然を考えながら、新しい家の設計に思いを馳せ始めたのは、僕がまだ建築科の学生の頃でした。

東京・自由が丘に敷地があることから「自由が丘の家」と名付けられたこの住宅は、竣工してから、すでに5年という月日が経っています。この住宅の設計を始めた頃はまだ成人するかしないかだった僕は三十路を過ぎ、その一室で日々設計活動を続けています。

「自由が丘の家」と題したこの断章では、一軒の住宅が建つ前のこと、そして建った後のこと、そのなかに流れてきた時間のことを、古今をいったりきたりしながら綴っていきたいと思っています。

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コメント (2)
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