休日も働いてしまったその夕べ、まだ働きつづけている板前さんにお疲れ様ですと微笑まれるのはなんとも複雑な気分である。神もお上もないと、なんと幸せは相対的になってしまうのだろうと思う。資本主義というのはともかくも、どれだけ働いたら加減がいいのか誰も教えてくれない世界である。
私は今日頑張ったと思う。疲れたと思う。しかしそんなことは、一時代前は誰も自分には言い聞かせたりしなかったのかも知れない。そうしないと不安に襲われるなんてこともなかったのかも知れない。
私は今日頑張ったと思う。疲れたと思う。しかしそんなことは、一時代前は誰も自分には言い聞かせたりしなかったのかも知れない。そうしないと不安に襲われるなんてこともなかったのかも知れない。