た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

レタス

2005年09月27日 | 食べ物
 完全に酔っ払ったおっさんは立ち上がり、レタスを注文した。狭い食堂に、客はおっさんと私しかいなかった。
 「レタスを丸ごと持ってきてくれ。芯だけ抜いてな」
 台所(厨房と言うより、台所というほうがそこは相応しかった)からおばあちゃんが怪訝な顔を見せた。
 「丸ごとなんか食えるかい」
 「いいから丸ごと持ってきてくれって。芯だけ抜いてくれよ。それとマヨネーズ」
 「丸ごと、どうやって食うんかい」
 「いいから持ってこいって」
 おっさんはレタスの玉が目の前に置かれると、子どものように顔をほころばせた。
 「昔レタス工場で働いていたとき、こうやって食ったんじゃ」
 彼はレタスの葉を一枚むしっては、豪快にマヨネーズをかけて口に放り込んでいく。
 「旨い」
 彼は涙目になった。
 「旨いなあ。久しぶりにレタス工場のレタスを食った」
 そんなはずはない。やっぱり相当酔っ払っているな、と思っている私のところへ、彼はレタスの葉を一枚摘んでよろよろとやってきた。
 「兄さんも一つ食ってみろ。旨いぞ」
 私は困惑した。何より衛生面が気懸かりであったが、結局断りきれなかった。酔っ払いの頼みなんて断りきれないし、それに彼の思い出に足で砂をかけるような真似はできない。
 しゃり、と音を立てて、私はレタスを噛んだ。
 旨いとも不味いとも言えなかった。レタスはレタスであった。マヨネーズだけでは幾分物足りない、普通のレタスであった。
 私には彼のような思い出がないせいだろう。
 それも少し寂しい気がした。 
コメント
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