た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

文明開化と「うわべ」という問題

2005年11月02日 | essay
 必要があって「文明開化」で検索をした。文明開化期の絵が欲しかったのだが、「西洋文明の摂取はうわべだけに終わった」旨の文章が目に付いた。
 中学生のときの歴史の授業でもそう習った。懐かしい文言である。
 しかし、と私は忽然と沸く違和感にその一行から目が離せなくなった。客観的な解釈を常とする歴史評価としてはずいぶん踏み込んだ発言である。「うわべだけ」。明らかに、「西洋文明の完璧な摂取」を是とした前提の上での表現だ。
 二つの疑念が私に起こる。
 一つ。うわべだけでは、いけなかったのか?
 一つ。本当にうわべだけだったのか?

 前者から言えば、うわべだけのほうがむしろよかったのではないか───日本固有の文化の優れた面を守る観点に立つなら。明治人が物質面のみならず精神面も総入れ替えして西洋化を遂げたなら、それは西洋文明の完全な接収にはなるだろうが、同時に日本人のアイデンティティーの喪失を招いたことだろう。遠からず昭和平成の世に至って、社会を一覧すれば、それは図らずも実現してしまっている嫌いがあるが。

 そう考えると、後者の疑念が恐ろしい響きを帯びて迫ってくる。そもそも、明治期からすでに、うわべだけに留まらない(留められなかった)西洋文明の怒涛のような浸透が見られていたのではないか。当然思想面では民間レベルと学者レベルの理解度は違ったろうし、歴史を知らずに文化産物を取り入れようとした分、当初はちぐはぐな接収利用が多く見られたことだろう。
 しかしこの国の民は、(良かれ悪しかれ!)抜群の吸収力を示したのではないか。

 それは、虚無としての自我という明治文化人たちの懊悩とも関わるに違いない、と、いかん、わたしも勇み足で踏み込みすぎた。
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反省の半生

2005年11月02日 | 写真とことば
反省する人間が損するこの世の中は何だ。




~ある人の言葉(33)
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