た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

その夜

2005年12月23日 | 短編
 消防車が鉦を鳴らして走る。

 障子の外は凍結しているに違いない。ガラス窓と障子に隔てられた室内でもこれだけ寒いのだから。私はがらんとした部屋の四隅を眺め回し、身震いをする。私はもう三十分もこの畳敷きの部屋で震えながら、誰かからの電話を待っているのだ。
 ここは私のいつもの部屋である。だが先ほどから石油ストーブを焚いていない。私自身が外套を着込んでいる。誰もいなくなった夕暮れ時の小学校の体育館のように、急激によそよそしくなった空間に私は一人でしゃがんでいる。今すぐにも、私はこの部屋を出ようと思っているのだ。三十分も前から、街に出て夜を過ごそうと心に決めて腰を浮かせているのだ。
 しかし、私はそこから動けないでいる。電話が鳴ったのだ。三十分前、チリリン、と一度ほど。

 山から吹き降ろす気まぐれな風がガラス窓を揺らし、さらに内側の障子まで揺らす。
 消防車の鉦の音は、耳を澄ますとまだ遠くかすかに聞こえている。

 いたずら電話か。ただのいたずら電話か。いや、しかし何か違う。
 私は丸めた背中を揺らしながら、冷たく押し黙ったストーブを横目で睨んだ。点ければいいのだ、ここまで寒い思いをするなら。しかし一度止めた暖房器具を再び動かせば、あと何時間でも自分はこのまま電話を待ち続けそうな気がして、私はいい加減踏ん切りをつけるべく立ち上がった。
 街に出かけると決めたのだ。私は。デパートを三階から一階まで冷やかして、それから寒いだろうが大通りをちょっと歩いて、それから喫茶店に入ってブラウニーと珈琲を注文するのだ。
 電話はもうかかってこない。かかってくるはずがない。かかっってきたところで、また一度だけ鳴って切れる誰かのいたずらに違いない。誰かの。
 私は壁にかかるカレンダーを眺めた。外套のポケットの中の家の鍵と車の鍵を、手でまさぐって確認した。私は白い電話に視線を移し、受話器に手を置いた。まるで、優しく電話にさよならでも伝えるように。
 その瞬間、チリリン、と電話が鳴った。
 しっかり掴んだその手の平の内側で、チリリン、と、もう一度電話は鳴った。三度鳴ったところで、私は受話器を持ち上げて耳に当てた。
 がらんとした部屋に響くほどはっきりと、私は声に出した。

 「クリスマスおめでとう。あなたは誰ですか」

 「クリスマスおめでとう。私を覚えているかしら」

 私は顔を上げて障子を見つめた。その外は真っ暗で、凍てついて、街の果てまで、もう消防車の鉦の音も聞こえない森閑とした聖夜が広がっているはずであった。  
コメント
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