た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

K先生

2007年12月02日 | essay
 変な夢を見た。
 私は小学六年生で、卒業式の日を迎えていた。なぜだかみんな教室で待機させられていた。卒業生入場の声がかかれば、教室から教師に引率されて校庭まで行進する手はずである。誰もそれを不思議とも思わなかった。担任のK先生が教室に現れ、我々にいろいろ指示を送った。
 K先生。身長が高く、スポーツマンで、しゃもじのように硬い手の平を持っていた。恐ろしく厳しい先生だったということで同窓生の意見は一致している。しゃもじの手はしばしば往復ビンタにその用を成した。頬に手の平の跡がくっきり残るビンタであった。まだ体罰が社会問題になる前の時代で、私たちが悪いことをしたのだから仕方ないとみんな思っていた。実際悪いことばかり起こすクラスだったのだ。私も何度かぶたれた。学級委員をしていたので、クラスが問題を起こしたときには代表して謝り、その分真っ先にぶたれた。最初と最後の二度ぶたれたこともあった。それでも、はっきりと、私はこの先生が好きだった。厳しいところが好きだった。非常に頼りになる気がした。夢の中でも先生はやっぱり厳しい顔をしていた。私は夢の中で久しぶりにK先生の顔を見つめた。
 ところがいよいよ出番間近となって、先生が教室を出て行った。ちょっと小用で出て行った感じであったが、いつまで経っても戻ってこなかった。そのうち入場行進が始まった。同じ階の他の教室から卒業生たちがぞろぞろと列を成して廊下に現れた。私の出た小学校はごく小規模で一学年一クラスだったはずだが、夢の中ではずいぶんマンモス校になっていたわけである。
 他の教室の六年生たちは次々と校庭を目指して去って行った。窓からは校庭に到着して整列する彼らの姿が見下ろせた。我々の番はもうすぐだった。我々は焦った。先生を待って卒業生入場に遅れるか、それとも先生を見捨てて行進に参加するか。
 学級委員だった私は、深く考える前に立ち上がった。
 「行こう」
 行進に遅れるわけにはいかない、という判断だった。
 我々が教室を出始めても、最後までK先生は姿を見せなかった。行進しながら振り返って見た廊下が、しんとして長く続いていた。
 そこで目が覚めた。

 枕から頭を離して置き時計を確かめると、まだ深夜である。それなのに意識は異様に冴えていた。格別怖い夢を見たわけでもないのに、私としては珍しいことである。暗闇の中で、私は夢の意味を考えた。
 私は大事な師匠を失ったのだ、としばらく考えてから一つの結論を出した。私は師匠を失ったのだ。問題は、それが昔の出来事なのか最近起こったことなのか。師匠とは、K先生であるのか、それともK先生に比喩される、もっと大きな何かであるのか。私は一体、何の卒業式に出席しようとしていたのか。
 
 
 夢は単純であった。だがその夢の残した妙に現実的な感触は、いつまでも残った。
 
コメント (2)
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