た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

残暑一人旅⑤

2015年09月08日 | 断片
 市田駅を降りたら、町全体が祭りの日を迎えていた。

 そもそも、行きの電車の中に浴衣姿の女の子たちがいることからすでに雰囲気作りは始まっていた。彼女たちは裾が上がり過ぎていたり、帯の締め方が甘かったり、最近の流行りか、作務衣風の中途半端な浴衣を着ていたり、つまり着こなしに疑問符のつく子が多いのだが、それもまた、年に一度の晴れ姿と思えば微笑ましかった。それに、そういう中にも決まって必ず一人くらい、とびきり着こなしの上手い、こちらをハッとさせる子がいるものである。

 さて、市田の街である。とうろう流しも花火も、日が沈んでからということなので、それまで飲み屋か喫茶店でも入って時間を潰そうと思っていたら、やっている店がない。町全体が祭りの準備に取り掛かっているので、どの店もシャッターが降りているのだ。駅からだいぶと北上したら、ようやく一件開いている飲み屋発見。だが聞くと、そこも親父が交通整理に出るので、今日は休業。それでも道行く人にと、奥さんが缶ビールやジュースを桶の水に浮かべて販売しているのである。せっかくだからと、ビールを買って路上で飲む。なるほどなるほど、ここまで徹底して街のどこもかしこもが祭りに浮かれているのは素敵ではないか。最近の祭りはどこでも、浮かれている連中の脇を冷めた連中が素通りする構図が多いが、この街だけはそういうことがなさそうである。まさに総力を挙げての祭りなのだ。それは素晴らしいことではないか、と酔いのまわりはじめた頭で思った。

 赤い顔で川岸まで南下し、座る場所を決める。見回せば、親子連れが手作りの巻きずしを食み、老夫婦がたこ焼きをつつき合い、中学生の男女六人のグループがそわそわと行ったり来たりし、浴衣姿のカップルが座りにくそうに階段に腰かけている。祭りだ。ああ、これが祭りなのだとつくづく感じた。考えてみれば、自分は、花火を始めから仕舞いまでしっかり見た記憶がない。いい機会だ。見物人の中に独り者は私くらいだが、それもまたよし。

 ぼんやりとした宵闇にすべてが包まれるころ、本番が始まった。

 川を次々と下る灯ろうのはるか頭上で、花火が開き、散る。それらについて描写する能力は私にはない。たっぷり最後まで見終えてから、駅前の一軒だけやっていた宿に戻り、湯を浴びて眠る。

 短い旅である。明日はもう最終日。

(つづく) 
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