ときどき、思い出したように、彼らは静かな接吻を交わした。
「トマトとオリーブ、だったね」
「ありがとう」
ヒロコは買い物袋を受け取った。
「街の様子はどう?」
「街? 別に」
「そう」
「そうだね。あまり・・・みんな、不景気だ、不景気だって言ってる。平和なだけじゃ物足りないらしい」
「わあ、イチゴも買ってくれたんだ」
「安かったから」
キッチンはガスコンロ一台に小さなシンクだけという手狭さである。ヒロコは買ってもらった物を小さな冷蔵庫の中に入れ、上に置き、それでも収まりきらない物は床の上に丁寧に積み重ねた。
彼女は玉ねぎをみじん切りしながら、ユウスケに背中を向けたままなるべくさり気ない口振りで訊いた。
「私を探している人たちは?」
「ええと、そうだね。まだうろうろしているよ」
「あ、そう」
「鍋に湯を沸かせばいいんだね」
「塩を一つまみ入れて」
「うん」
五分ほど、彼らは自分の分担である仕事に集中した。沈黙を破ったのは、ヒロコのいらいらした声だった。
「私を捕まえて、どうしようというのかしら」
「え? あ・・・ああ、連中か。湯が沸きあがったよ」
「中火にしておいて。ねえ、どうなの。私を捕まえて、殺す気かしら」
ユウスケはコンロから顔を上げた。
「そんなことはさせやしない」
「殺す気よね」
「わからない」
「殺さなくちゃいけない存在だもの」
「ヒロコさん」
「あなたは───あなたは、私を殺したくならないの」
ヒステリーの症状の表れ始めたヒロコの腕を、ユウスケは嘆息してつかんだ。
「何言ってるんだ。ヒロコさん。そんなこと、考えてもいけない」
「だって、だって私、あなたをこんな顔にして。こんな姿に・・・私、私、あなたを殺そうとした」
ユウスケはヒロコの体を支えながらコンロのガスを切り、震えるヒロコをなだめる様に畳の上に座らせた。
天井から下がる蛍光灯の紐が揺れる。
ヒロコのこめかみには筋が浮き立っている。口元は引き攣り、目は病的に潤んでいる。
「シリアでも何人も殺してきたわ。何人も・・・数えきれないくらいよ。日本でも殺した。人殺しよ私。どうして? どうしてそんな私が生きていられるの?」
「ヒロコさん。そんなこと考えちゃいけない」
「殺してよ!」
「ヒロコさん」
「・・・ごめんなさい・・・私・・・でも、もう何だか、嫌なの。こんな風に、隠れながら一生過ごすのなんて」
か細く悲痛な声である。
ユウスケは荒い息をつき、掴んでいた手を緩めた。それから考え深そうに、ヒロコを見つめた。
「実は、話そうと思っていたことがあるんだ」
(つづく)