約束の常念。
二年前、友人と挑戦しながら、途中で昼寝までする友人のマイペースぶりに翻弄され、また積雪も災いし、山頂からニ百メートル下の常念乗越で断念。しかし常念小屋で一夜を過ごし迎えた朝焼けは、息を呑むほど素晴らしかった。一方で、山頂を踏破していないという思いはずっと引きずっていた。その頂きを、いよいよ極めるのか。しかし今回は夫婦登山。しかも日程に余裕がなく、日帰りである。無理はできない。今回も、乗越で引き返すとするか。
出立まで曖昧な気持ちを決めかねていた。それが結果的に、とんでもない苦労と教訓を我々に与えることになる。
登りはそれでも順調だった。乗越には予定通り四時間で到着。初めて見る景色に妻も感動ひとしおである。槍ヶ岳が近い。空が青い。テーブルに腰かけ、ソーセージを焼き、おにぎりを食べ、ラーメンを作り、紅茶を沸かして飲んだ。満腹になると、シートを広げて昼寝までした。
起きたら昼過ぎ。当初はそのまま下山するつもりだったが、体力の回復と共に、それでも山頂まで、という欲が首をもたげてきた。私としては、二年前からの夢を果たせることになる。ここで登りきってしまっては、もう常念に来る楽しみが無くなってしまうのではという寂しさもある。妻は行く気でいる。私は迷った。
時間的にはぎりぎりである。順調にいけば、夕方五時、日の入り前には駐車場に着く。なんとかなるか。そんな甘い見込みで、我々は山頂を目指した。
意外と時間をかけたが、それでも登頂成功。心地よい風が汗を散らす。地球が丸い。標高二千六百から眺める景色は、やはり格別だった。来てよかった、と心から思った。
さあ下山である。ここからが試練であった。もともと体調が万全とは言えない妻が、一気にペースを落とした。足が痛み、頭痛もするらしい。気ばかり焦るが、何しろアプローチの長い常念である。気がつけば、予定の五時はとっくに過ぎていた。行き交う登山者はいない。行けども曲がれども、森の中である。
日の入り前、夕焼けが濃くて妙に景色が明るく見えることがある。まさにその状態になった。森の木立が燃えるように鮮明に見える。不思議だ、と思っていると、突如、大地が揺れた。後日、新聞で槍ヶ岳の落石を知ることになる、長野岐阜の県境で起きた地震である。が、そのときは、それが果たして地震なのか判然としなかった。何しろ山中で揺れを感じるのは初めてである。しばらく歩いていると、また揺れた。木立が首を振るのを確認したから、今度は地震だとはっきりわかった。正直、怖かった。だが、我々には立ち止まる猶予すらない。
ついに日が暮れた。森の中は文字通り真っ暗である。私は念のためヘッドライトを持っていたが、うかつなことに、照明器具はそれ一つであった。私がライトをつけて前を歩くと、妻の足下が見えない。妻の足下を照らすと、前が見えない。ジレンマの中、私がある程度先を急いでから立ち止まって振り返り、妻の行く手を照らす、という方法が一番効率がいいことに気付いた。
「あ、月がきれい」
妻の言葉に空を見上げると、満月が、煌々と夜空に浮かんでいる。周りに街燈もビルもないところで見ると、月はこんなに大きいんだ、と思った。
折しも、中秋の名月を翌々日に控えた晩であった。
妻の疲労は激しかった。途中、嘔吐感を覚えて立ち止まることすらあった。食べたくない、と言うのを無理やり甘いものを口に含ませ、荷物は全部私が担ぎ、なおも登山口を目指した。
闇の中でも、一、二度揺れを感じた。
さすがにもうすぐ着くはずだろう、と思ったのはどれくらい前か。まだ着かない。このまま無限に歩き続けなければならないのか。ひょっとして道を間違えたのではないか、と考えるのも恐怖だった。ライトを前方、後方に振らなければならないから、しっかり周囲を把握できていない。さっきから登山道を示す赤い布が全く見当たらないのも気がかりである。だが、それを妻に話せば、ただでさえ衰弱している彼女をさらに追い詰めるだろう。
我々夫婦は無言のまま、暗い山中を歩き続けた。
登山口からほど近い場所にある祠を見つけたときは、どんなに救われた気がしたか。普段入れない額の硬貨を投げ入れ、道中の無事を感謝し、自分たちの見込みの甘さを心からお詫びした。
登山口に辿り着いたのは、七時だった。我々はしばし、ベンチに座りこんで呆然とした。くたくただった。
結局、我々は道に迷ったわけでもなく、帰還に成功した。しかし痛烈に反省しなければならなかった。山はまさに何が起こるかわからない。その不確定要素も考慮に入れ、入念な準備と、余裕をもった山行計画を練らなければならない。昼寝してからついでに山頂を目指すなんて、もってのほかである。
天罰は、翌日からの拷問のような筋肉痛でちゃんと与えられた。数日間、我々夫婦はいわば「感電した蟹」状態だった。
常念は終わった。常念は、やはり偉大な山だった。こんな目に遭っても、数年後、また登りたくなるのかも知れない。
そんな気がしている。
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