た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

6月9日

2012年06月09日 | essay
 ニュートリノは光より速くはなかったらしい。今日の朝刊で、研究者たちが自分たちの既出の研究報告を撤回していた。光より速い、と思ったら実験装置の不備だった、というわけである。肩すかしというか、何だか残念な心持ちである。
 アインシュタインが立てた式を一つも解いたことがないのに、アインシュタインが否定されるような事実の出現を期待するのは誠に失礼千万に違いないが、でも何だか、光より速いものは存在しないと決めつけられるのは、未来永劫破られることのないチャンピオンという存在を認めるようなもので──確かに今は彼に敵う者はいないよ、確かに誰もいないが、いやしかし! いつの日かどこかに出現するに違いない──少なくともその可能性を排除するのは間違いである──そういう気がしてならない。もちろん科学的な論拠はそんな単純なことではないだろうが、素人は単純に考えてしまうのである。
 光より速いものがもし仮にあるとしたら、それはもう、視覚的に語れるものではないのだろうか。全然違ったカテゴリーに属するものかしらん。
 原因と結果の、因果関係とか。
 死後の世界、あるいは無の世界に関係するものとか。
 空間を持たない世界とか。
 数学的正しさとか。
 存在とか。
 
 問題はいつだって、語る言葉である。これはいかにもいい加減な言葉を書き連ねてしまった。仕事疲れである。床に入り、目を閉じ、光を遠ざけよう。しょせん光に敵うわけないのだから。
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