不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

屠殺

2005年10月12日 | 俳句
牛一頭 して知る この世かな
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 食事の借景 | トップ | 借金時計 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ゆらぎさんへ (overthejigen)
2005-10-14 23:14:02
食べているものがかつて何かの命であったことを知る責任、といったところでしょうか。



昔、私の父が飼っている鶏を絞めたとき、子どもの私は見せてもらえなかったんですよね、その場面を。子どもには残酷すぎたからでしょう。

あれは見るべきだったと、今では思います。
返信する
責任者の不在 (ゆらぎ)
2005-10-14 01:15:58
祭りとは何だろう?

祭りによってに意味を与えていたのは神ではないだろうか?



現代、効率良く牛が屠られてパックされて売られる。

神は既に亡く、者は他人のために屠り、消費者は他人に作業を任せる。



牛一頭の命が絶たれた責任を誰も追うことがないのが

「すごく問題」と感じる所以ではなかろうか?
返信する
ゆらぎさんへ (overthejigen)
2005-10-13 23:04:50
イーリアスですね、むしろ、私は。あのフレーズにはとても祝祭的で甘美なイメージが湧くのですが、われわれ現代社会は祭りでなく経済として牛一頭の生命を断ち切ることができるようになりました。そこがすごく問題だと思うのですが、いかがなものでしょう。
返信する
証券保管振替機構 (ゆらぎ)
2005-10-13 00:22:50
証券保管振替機構という会社が

「ほふり」という愛称で宣伝してるんだが、

いつも「屠り」という字をイメージしてしまう。



オデュッセウスとかで

「牛一頭を屠って肉を串刺しにして焼く」

みたいな感じ。
返信する

コメントを投稿

俳句」カテゴリの最新記事