車に乗っていると、いろんなものに出会う。中房温泉を目指しているときは、猿に出会った。猿はそれ以外にも時々出会っている。二年ほど前、両親を連れて扉温泉に立ち寄った帰り道には、鹿の親子連れに出会った。三頭いたから、親子連れだと勝手に決めつけている。友だち連れかも知れない。だいぶ昔になるが、上高地の近くでカモシカを目撃したこともある。
先日は熊に出会った。熊に出会うのはよくよくのことと思う。そのときも温泉地を目指していたから、考えてみると、温泉を目指すと動物に遭遇していることになる。だがさらに考えなおすと、温泉地はたいてい山の中にあるので、これは当たり前のことである。温泉を目指さなかったら、そんな山奥に行く必要もない。
その日は、行ったことのない温泉(確か雨飾温泉とかいったと思う)を、看板だけを頼りにふとした気まぐれで目指していた。やたら細い坂道を何キロも登った。大きな道路から入るところには看板があったが、途中には何もない。木の枝や小石が路面に落ちていたりして、どれほどの交通量があるのかも怪しげな山道である。本当に着くのだろうかと不安になった矢先、カーブを曲がったら、黒いものがお尻を見せて走って逃げていくのがわかった。急ブレーキをかけて見送ったが、あれは確かに熊だった。そんなに大きくなかったから、子熊かも知れない。
熊はさすがに迫力がある。逃げるお尻だけでも十分な迫力である。同乗者一同驚嘆し、当然ながら引き返すことも検討した。熊に襲われたら車なんて一発だ、という意見が出たが、そもそも熊は車を襲うのか?という疑問も出た。確かに、もう二度と出てこないことも十分考えられる。何より、温泉には入りたい。雨飾りという陰気なんだか陽気なんだかわからない名前にも強く惹かれるものがある。ここまで来て引き返すのが悔しい。せめてひと風呂浴びて引き返したい。
ハンドルを握るのは私だったが、結局、ギアをドライブに入れ、先に進んだ。このような浅はかな判断で、世の災害というものは起こるのだろうが、そのときは同乗者が全員浅はかだったらしく、特に異議は出なかった。
車はこわごわと進んだ。対向車は一台もない。森はさらに奥深い。子熊が親熊を呼んできて奇襲攻撃を受けたり、熊の集団に囲まれてカツアゲされたりする想像図を同乗者同士で逞しくしながらも、こんな秘境にある温泉なんだからさぞかしいい湯だろうという希望的観測を頼りに、さらに数十分ほど山道を登った。しかし行けども行けども辿り着かない。熊に再び遭遇する恐怖でハンドルを握る手が汗ばむ。道はどんどん細くなり、車一台通るのに、両脇から茂る葉っぱが車体に当たりそうなほど狭い道になった時点で、ついに断念して下山した。
あの先に本当に温泉があったのかどうか、今もってわからない。狐の化かす話は昔からよく聞くが、熊に化かされたのかも知れない。冷や汗だけかいて、ひと風呂も浴びられずに随分損をした。今度道端で熊に出会ったら、その先には進まずにおこうと思う。
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