た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

合宿

2017年03月27日 | essay

 

 合宿、というのは実に蠱惑的(こわくてき)な響きを持つ言葉である。年齢を重ねるごとにその言葉の持つ若々しさが目にまぶしくなる。理由は単純で、歳を取ると合宿する機会がなくなるからである。合宿とはもちろん、仲間と共に日暮れまでへとへとになって球を追いかけたり、大浴槽ではしゃいだり、夜更けに枕投げをして叱られたりする、あれである。入口が禁欲的で、ゴールが開放的という、何とも理想的な上昇曲線を描いた一大イベントである。そういう体験への郷愁を、大人になっても大人になれない小僧たちは、心のどこかに諦めきれないで抱えている。だから人生の半ばを過ぎても、合宿という言葉を耳にするだけで、まるで、幼い頃何度も使った補虫網を何十年かぶりに再び手にし、裾をたくしあげて森に向かうような、わくわくどきどきとした高揚感が募るのである。

 ということで、人生の半ばをとうに過ぎたスキー仲間三人は、自分たちのことをスキー部と称してはばからず、年に一度、互いの仕事の都合を何とかやりくりして、一泊限りの「スキー合宿」を敢行するのである。

 先日、そんなスキー合宿に行ってきた。日程としてはただ滑っては飲み、飲んでは滑り、宿に帰っても飲むという、切磋琢磨とは程遠く、人生の半ば過ぎの輩にはいたって相応しいものであった。

 来年もまたやるらしい。「合宿」という看板だけが多少世間体をはばかられるが、まあ、それも降ろさないでやるのだろう。

 

 

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