た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

9月のひとり

2005年09月15日 | 習作:市民
 紅茶を入れてから、しばらくその香りをかぐ。
 (あいつには一度はっきりしたことを言わなきゃいかんな)
 洗い物を片付けたばかりの台所に佇んだまま紅茶を一口啜り、カップを手にしたままCDをかける。
 主題のないジャズが流れる。音量を心持ち絞る。
 (人間性の問題だから。あいつにははっきり言ってやらなくちゃ)
 時計の秒針を十二秒数える。そのまま一時間だって数え続けてもいい気分だ。

 私には自由がある。この、秋の夜長のための。

 紅茶を飲み干す。苦い滓(おり)が喉を通る。手早くカップを湯ですすぐ。
 少し自分は寂しいのだと自覚する。
 (あいつは昔もっと素直でいいやつだと思っていたが、でもおれだってそう思われているかもしれないからな!)
 私は台所の窓を開け放った。

 虫の音。くしゃみが出そうなほど涼しく乾燥した空気が頬を撫でた。

 私は目を閉じた。
 あいつにはまたメールでも出そう。人間性について書く必要は、今はない。うん、人間性について人に説教する必要なんて、今も、これからも、当分ないんだ。
 
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衆議院選挙開票速報

2005年09月11日 | Weblog
 雨の中、人々は久しぶりに沸き起こった使命感に心ひそかに高揚しながら、投票所へ向かった。家族連れはやたら多弁になり、一人で来た人はまるでちょっとした裁判に赴く弁護士のように、毅然として体育館に向かった。

 投票所を出ても外は雨だった。人々は小さな紙片に三文字から五文字程度の名前を書いて出てきた。その足取りは来たときより微妙に重く、かすかな戸惑いさえ見せていた。まるで

 政治だ選挙だと言われても、しょせんこの程度のことしか市民である自分たちにはできないのであり、しかもこの程度の作業では、社会の現状は結局どうとも変わらないことを、早くも、漠然とながら自覚したかのように。


 雨の無関心が、彼らの足元を冷たく濡らした。
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上高地

2005年09月10日 | 俳句
笹駆ける 穂高の夏の 名残かな
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遊雨

2005年09月04日 | essay
 雨である。

 久しぶりに本格的である。夜の退屈を埋め尽くすようにざあざあ言っている。雨の飛沫が締め切った室内まで浸透してくる錯覚がして、取り立てて冷え込んでもないのに短パンを長ズボンに履き替える。

 この雨の中を、明日、東京から知人が来ると言う。本当に来るのか知らん。晴れたら上高地に行こうと思っていたが、雨ならば予定が立たない。いっそのこと雨でも上高地に言ってみようかと思う。雨の上高地もひょっとしたら悪くない。観光客は少なかろう。念のために情報があればと「上高地 雨」でネット検索をしたら、寺田寅彦が「雨の上高地」という小文を書いていた。やはり物好きは古今を問わずいるのである。

 珈琲を入れる。雨の夜は、必ず誰かがどこかで泣いている、という小説の件が、そう言えばあった気がする。小説の名前はとても思い出せない。珈琲はやけに濃くなってしまった。雨脚がいつの間にか聞こえなくなったのに気づき、窓を開けてみる。明かりの少ない夜の町は、雨が止んだら一層退屈そうである。

 明日はひょっとして晴れるかもしれない。やっぱり雨かもしれない。雨でも上高地に行こう、と独り決めして苦い珈琲を啜った。
 
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秋の衆議院選挙

2005年09月02日 | 俳句
泰平や 選挙のあとの きりぎりす
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