一昨日ハーレムツアーというものの存在を知って、申し込んでおいた。黒人の教会に行き、ゴスペルが聴けるという。
早朝集合場所に行ったら、二台のバスに分乗するほどの参加者である。ほとんどが白人。まあ、黒人はわざわざツアーでは行かないか。
私の乗ったバスは、混血らしき顔立ちの女性がガイドだった。この人がまたのべつ幕なしによくしゃべる。どうでもいい話から発展して映画の台詞を真似たり昔の小唄を口ずさんでは「それはとにかく」と言って次のどうでもいい話に移る。息継ぎする間もないんじゃないかと心配になった。私の隣の席はオーストラリアから来たなかなか美人の女性だったが、彼女がバスを降りるとずば抜けて背が高いことがわかった。背だけではなくプライドも高かった。ときどき、脈略もなく「美しい建物ね」などと話しかけてくれるが、私が何か返事をしても、うなずくだけで話を続けるわけでもない。日本人と聞いても、あそう、で終わる。どうもとっつきにくい相手である。
到着した教会で、我々は後ろの席に並んで座らされた。見渡せば、結構な数のツアー客である。前の席では黒人たちが背中を見せている。陽気な子どもにパンフレットとうちわを渡された。女の子は編んだ髪に白いビーズを数珠つなぎにつけて、なかなか豪華である。
祭壇の背後にも座席がある。歌い手らしき者たちがそこに適当に腰かけていく。
音楽と共に、何の前置きもなくミサは始まった。
先導して歌う人がいて、それに合わせて皆が声を張り上げる。ハレルヤ! ハレルヤ!
音楽は何段階も階段を駆け上がるようにして盛り上がっていく。一曲終わったかと思うと先導する人が変わり、福音を叫び、また新たなゴスペルが始まる。それが何曲も続いた。
やがて綺麗な衣装を着た女の子たちが通路に現れ、等間隔に腰を下ろした。車椅子の少女が一番前に出て我々の方を向く。
不思議な曲調の歌が始まった。着飾った少女たちはゆっくりと旗を振りながら身体をくねらせる。前では顔を白く塗りたくった二人の子どもが無言劇のような動作をしている。車椅子の少女はすべてを許すキリストのように両腕を高く差し伸べている。歌声は幾重にも折り重なり、電子オルガンの音が教会を覆った。踊り手たちの動きは次第に大きくなる。壇上では初老の男が叫んでいる。神はすべてをゆるしたもう! われわれに祝福あれ! アメリカに祝福あれ! 全人類に祝福あれ! 貧しい人にも、富める人にも祝福あれ! 戦争で苦しんでいる人々に祝福あれ! 病に苦しむ人に祝福あれ!
音楽は最高潮に達し、人々は口々に福音を唱え、天を仰いだ。
踊り子たちが退場する場面で、ハプニングが起こった。眼鏡をかけた一人の踊り子が感極まり、腰に手を当てたまま泣き崩れ、立ち上がれなくなったのだ。
それは観ているわれわれにとって衝撃的な光景であった。当然ながら、これは観光客のための見世物として作られた芝居ではなかったのだ。彼ら黒人たちにとって、あくまでも信仰告白の場であったのだ。泣き崩れた少女は、あるいは何か不幸な出来事を抱え込んでいたのかも知れない。彼女はうめき声を上げながら、容易に立ち上がらなかった。その間も歌は続いた。周りの者も、すぐに駆け寄ってなだめるようなことはしなかった。彼らはすべてを寛容した。
ついに両脇を抱えられ、眼鏡の少女は退場し、ミサは終わった。忘れもしない。真っ先に立ち上がって教会を出ていったのは、背の高いオーストラリアの彼女であった。
帰りのバスでは、ガイドもさすがに言葉少なだった。今日のミサは祝日との関わりで、特別の出し物だったんです。隣のオーストラリアン女性が私に感想を訊いてきた。あなたは観ててどう思ったか? 私は彼女の冴えない表情を見て、慎重に言葉を選んだ。非常に、非常に深い印象を受けた。
「そう」と彼女は答えた。
私は彼女に同じ質問を投げ返した。
彼女は車窓の外を眺めて首を横に振った。「違う。私たちのとは、全然違う」
人種。黒人。
そういえば、と思う。この街に来て、一つひどく気になることがある。人種によって、表情まで違う。顔つきではない。表情である。物腰の柔らかい笑顔を見せるのは白人である。黒人は大体が不満顔である。暗い表情をしている。繰り返すが、これは骨格や皮膚の色といった顔つきの話ではない。ちなみにアジア人は、固い顔をしている。
夜、酔った上の思いつきでエンパイアステートビルに登った。随分いろいろな検査を受け、巻貝の排泄物のようにぐるぐる回らされた挙句、ようやくオープンデッキに出てみたら、風が強くて五分と眺めていられなかった。
そろそろ旅も終わりである。Good night NY.私は心につぶやいて、肩をすくめ、百万ドルの夜景を背後にした。
(つづく)
早朝集合場所に行ったら、二台のバスに分乗するほどの参加者である。ほとんどが白人。まあ、黒人はわざわざツアーでは行かないか。
私の乗ったバスは、混血らしき顔立ちの女性がガイドだった。この人がまたのべつ幕なしによくしゃべる。どうでもいい話から発展して映画の台詞を真似たり昔の小唄を口ずさんでは「それはとにかく」と言って次のどうでもいい話に移る。息継ぎする間もないんじゃないかと心配になった。私の隣の席はオーストラリアから来たなかなか美人の女性だったが、彼女がバスを降りるとずば抜けて背が高いことがわかった。背だけではなくプライドも高かった。ときどき、脈略もなく「美しい建物ね」などと話しかけてくれるが、私が何か返事をしても、うなずくだけで話を続けるわけでもない。日本人と聞いても、あそう、で終わる。どうもとっつきにくい相手である。
到着した教会で、我々は後ろの席に並んで座らされた。見渡せば、結構な数のツアー客である。前の席では黒人たちが背中を見せている。陽気な子どもにパンフレットとうちわを渡された。女の子は編んだ髪に白いビーズを数珠つなぎにつけて、なかなか豪華である。
祭壇の背後にも座席がある。歌い手らしき者たちがそこに適当に腰かけていく。
音楽と共に、何の前置きもなくミサは始まった。
先導して歌う人がいて、それに合わせて皆が声を張り上げる。ハレルヤ! ハレルヤ!
音楽は何段階も階段を駆け上がるようにして盛り上がっていく。一曲終わったかと思うと先導する人が変わり、福音を叫び、また新たなゴスペルが始まる。それが何曲も続いた。
やがて綺麗な衣装を着た女の子たちが通路に現れ、等間隔に腰を下ろした。車椅子の少女が一番前に出て我々の方を向く。
不思議な曲調の歌が始まった。着飾った少女たちはゆっくりと旗を振りながら身体をくねらせる。前では顔を白く塗りたくった二人の子どもが無言劇のような動作をしている。車椅子の少女はすべてを許すキリストのように両腕を高く差し伸べている。歌声は幾重にも折り重なり、電子オルガンの音が教会を覆った。踊り手たちの動きは次第に大きくなる。壇上では初老の男が叫んでいる。神はすべてをゆるしたもう! われわれに祝福あれ! アメリカに祝福あれ! 全人類に祝福あれ! 貧しい人にも、富める人にも祝福あれ! 戦争で苦しんでいる人々に祝福あれ! 病に苦しむ人に祝福あれ!
音楽は最高潮に達し、人々は口々に福音を唱え、天を仰いだ。
踊り子たちが退場する場面で、ハプニングが起こった。眼鏡をかけた一人の踊り子が感極まり、腰に手を当てたまま泣き崩れ、立ち上がれなくなったのだ。
それは観ているわれわれにとって衝撃的な光景であった。当然ながら、これは観光客のための見世物として作られた芝居ではなかったのだ。彼ら黒人たちにとって、あくまでも信仰告白の場であったのだ。泣き崩れた少女は、あるいは何か不幸な出来事を抱え込んでいたのかも知れない。彼女はうめき声を上げながら、容易に立ち上がらなかった。その間も歌は続いた。周りの者も、すぐに駆け寄ってなだめるようなことはしなかった。彼らはすべてを寛容した。
ついに両脇を抱えられ、眼鏡の少女は退場し、ミサは終わった。忘れもしない。真っ先に立ち上がって教会を出ていったのは、背の高いオーストラリアの彼女であった。
帰りのバスでは、ガイドもさすがに言葉少なだった。今日のミサは祝日との関わりで、特別の出し物だったんです。隣のオーストラリアン女性が私に感想を訊いてきた。あなたは観ててどう思ったか? 私は彼女の冴えない表情を見て、慎重に言葉を選んだ。非常に、非常に深い印象を受けた。
「そう」と彼女は答えた。
私は彼女に同じ質問を投げ返した。
彼女は車窓の外を眺めて首を横に振った。「違う。私たちのとは、全然違う」
人種。黒人。
そういえば、と思う。この街に来て、一つひどく気になることがある。人種によって、表情まで違う。顔つきではない。表情である。物腰の柔らかい笑顔を見せるのは白人である。黒人は大体が不満顔である。暗い表情をしている。繰り返すが、これは骨格や皮膚の色といった顔つきの話ではない。ちなみにアジア人は、固い顔をしている。
夜、酔った上の思いつきでエンパイアステートビルに登った。随分いろいろな検査を受け、巻貝の排泄物のようにぐるぐる回らされた挙句、ようやくオープンデッキに出てみたら、風が強くて五分と眺めていられなかった。
そろそろ旅も終わりである。Good night NY.私は心につぶやいて、肩をすくめ、百万ドルの夜景を背後にした。
(つづく)