peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

東山ふるさと歴史講座「今泉街道」現地探訪~山目宿から長坂宿へ(その5) 2014年7月25日(金)

2014年08月07日 | 町のイベント

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(上と下)1978(昭和53)年11月1日発行の岩手県東磐井郡東山町の「町制20周年記念誌・ひがしやま」に掲載されている当時の東北開発(株)岩手セメント工場(現・三菱マテリアル岩手工場)の写真と「東山町のおいたち」についての文章。

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2014年7月25日(金)、東山公民館(館長・鈴木勝市)、田河津公民館、松川公民館、石と賢治のミュージアム:主催の「昭和26年度 東山ふるさと歴史講座」の第3回(一関市の研修バスと徒歩による現地学習)”歩いてみよう今泉街道~山目宿から長坂宿へ”(9:00~15:00時)が行われました。講師は東山支所教育文化課 畠山篤雄氏。

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(下)旧道を下りてきて「石と賢治のミュージアム」に着きました。ここで昼食休憩です。

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(上)「現在地」から研修バスに乗って出発です。「停車場線」を200m位進むとJR大船渡線の踏切があり、「第一今泉街道踏切」と表示されていました。その先100mほどで「県道花泉東山線」に合流です。

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(上)歴史の道・今泉街道は、「現在地」で停車場線に重なり、宮沢賢治ゆかりの東北タンカル工場の間を通ってJR大船渡線を横断(「今泉街道第1踏切」)して県道花泉東山線と交叉してその右側を進み、再び前・県道と合流して「石宇川」と呼ばれていた山谷川に架かる境橋に至っていました。ここが江戸時代の松川村と長坂村(現在は共に一関市東山町)との境だったそうです。当時の橋は現在地より約4~5m上方に架けられていたそうです。

境橋を越えて長坂(村)に入った旧道は岩手セメント工場の敷地をかすめて進み、その先は前・県道と重なって「長坂宿」に入っていたそうです。現在「今泉街道」と呼ばれている県道19号(一関大東)線は、旧道とは全く重なっていないようです。

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長坂村風土記御用書上(安永4年)には次のように記されているそうです。

1.当村長坂町宿場有之、壱丁四拾弐間御座候処、他村江之宿次里数。左ニ御書上仕候事

1.西岩井郡山ノ目町江拾九里壱丁五拾間 1.本馬 八拾八文、1.軽尻 五拾八文、1.賃夫 四拾四文(略)

1.当郡摺沢町江八里三丁 1.本馬 三拾六文、1.軽尻 拾四文、1.賃夫 拾八文

1.当郡松川町江七里 1.本馬 弐拾九文、1.軽尻 壱九文、1.賃夫 拾五文 以上六ケ所、何モ里数小道を以御書上仕候事

このように、長坂宿は旧道における主要な宿駅の一つとして位置しており、そのためここからは(イ)「江刺郡黒石町江之道」、(ロ)「当郡(東磐井郡、以下同じ)母躰町江之道」、(ハ)当郡猿沢町江之道」、(ニ)当郡摺沢町江之道」、(ホ)「当郡松川町江之道」、(へ)西岩井山ノ目町江之道」の六筋の道が分岐している。このうちの(ニ)(ホ)(ヘ)の道筋が旧道にあたるが、特に(ニ)には次の七カ所の坂が記載されている。「①風呂坂 長弐丁、②五輪坂 長三拾間、③折ノ坂 長壱丁、④寺坂 長弐拾間、⑤大萱坂 長五拾間、⑥6荒井瀬坂 長壱丁、⑦高金坂 長四拾五間」。

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(上)「長坂宿」の町裏には熊野神社があり、ここは村の鎮守であった。「安永風土記」には次のように記されているそうです。

1.村鎮守熊野社

1. 小名 坊

1.勧請 葛西御家臣当村御城主千葉刑部少輔様御勧請被成、熊野山万福寺と申別当御座候由申伝候処、右年月〇別当所跡共ニ相知不申候事

1.社地 南北拾八間、東西六間

1.社 南向弐間作<./p>

1.別当 当村羽黒派千葉院

祭日 九月九日 右御祭礼之節為警固、大原御足軽弐人被相付候事

この神社の境内には明和3年(1766)の庚申塔、寛政5年(1793)の石灯籠のほか、文化・文政・天保などの石碑が多くある。

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東山ふるさと歴史講座「今泉街道」現地探訪~山目宿から長坂宿へ(その4) 2014年7月25日(金)

2014年08月07日 | 町のイベント

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2014年7月25日(金)、東山公民館(館長・鈴木勝市)、田河津公民館、松川公民館、石と賢治のミュージアム:主催の「昭和26年度 東山ふるさと歴史講座」の第3回(一関市の研修バスと徒歩による現地学習)”歩いてみよう今泉街道~山目宿から長坂宿へ”(9:00~15:00時)が行われました。講師は東山支所教育文化課 畠山篤雄氏。

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(上と下)旧狭山トンネル道路を下ってくると、一関市東山町松川字滝の沢地区の人たちの先祖代々の墓地の前を通ります。「新・狭山トンネル」が開通する前は、ここが「県道」だったので車も沢山通りましたが、「七曲り峠」なとと呼ばれた難所でした。特に道路が凍結する冬期間はスリップ事故などが多発したようです。

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(上と下4つ)この橋の手前で左折する道が「旧・今泉街道」で、この橋の下を通って「滝ノ沢集落」へ向かっています。道路(「滝ノ沢墓地線」)の右側を小川が流れていて砂鉄川に注いでいます。この橋を渡って100mほど進むと現在の「今泉街道」である県道19号線(一関大東線)に合流します。

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(上と下)この小川の対岸に幾つもの石碑が立てられています。寛政9年(1797)の奉書大乗妙典一字一石碑(高さ60㎝、幅42㎝)、と年号不明の清水観世音菩薩碑(2つに折損)があります。この碑の土中からは、大乗妙典観世音普門品偈の経文を一石に一字づつ記された石が昭和40年頃発掘されています。

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(上)この民家の上側に見える白いガードレールの所が、現在の県道19号線で「今泉街道」と呼ばれています。

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(上と下4つ)一関市東山町松川字滝ノ沢の「高卜坂登り口」付近に立てられている今泉街道保存会の掲示板。

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(上)「現在地」(JR陸中松川駅の隣)の所に「石と賢治のミュージアム」があります。ここから左側に進むと長坂(「長坂宿」)です。

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(下)「石と賢治のミュージアム」の裏側にある「賢治デクノボーの道」と題したモニュメント。

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(下)このモニュメントがある道路(停車場線)の向かい側にある民家の庭に「クサキョウチクトウ(草夾竹桃)」とか「オイランソウ(花魁草)」という和名をもつフロックス・パニキュラータが、今を盛りと花を咲かせていました。

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ハナシノブ科 フロックス属 Phlox:北アメリカ原産の半耐寒性秋・春播き一年草と耐寒性多年草があり、夏の花壇や切り花で利用されるのは多年草のパニュキラータpaniculataで、直立した茎の先にピラミッド状に花をつけて長期間咲き続ける。高性種で斑入り葉の品種もある。別名:宿根フロックス、オイランソウ、クサキョウチクトウ。

春から初夏に花を群がって咲かせる一年草のドラモンディには高性種と矮性種があり、花弁の先が切れ込む星咲き種もある。ディバリカータは山野草の雰囲気がある。花色は赤、ピンク、白、青紫、複色などがある。花期:5~6月(一年草)、6~10月(多年草)。用途:庭植え、鉢植え、切り花。

栽培管理:日当たりと風通しの良い戸外に置き、鉢土の表面が乾き始めたら水やりする。花がらは丹念に摘む。ドラモンディは暑さに弱いので夏の栽培は避ける。[西東社発行「知りたい花の名前がわかる花の事典」より]

https://app.blog.ocn.ne.jp/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=40767796&blog_id=82331 [peaの植物図鑑:一関市大東町摺沢の宿根フロックス/オイランソウ 2012年8月3日(金)]

https://app.blog.ocn.ne.jp/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=38188272&blog_id=82331  [peaの植物図鑑:奥州市水沢区のフロックス/草夾竹桃]

https://app.blog.ocn.ne.jp/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=32251178&blog_id=82331 [peaの植物図鑑:フロックス・パニクラタ/クサキョウチクトウ]